伊藤 曙覧著『越中の民俗宗教』
評者:廣瀬 誠
掲載紙:北日本新聞(2002.11.29)


「越中の民俗宗教」を読んで

 「長い雪の世界から、ようやく黒土を見たよろこび、春祭りのよろこびは格別であった」。伊藤曙覧さん(小杉町黒河)の近著「越中の民俗宗教」はこの揺らぐように美しい青葉で始まっている。民俗宗教をテーマとした学術書であるが、著者の詩人的感覚と温和・誠実な人柄が全巻に貫かれた好著である。

 そして曳山、築山、獅子舞、盆踊り、願念坊踊り、チョンガレ節等々一つひとつ丹念に取り上げ、よくもこんなにこまめに全県下くまなく採訪研究されたものだと驚き感嘆する。

 県外各地にも目を配り、足を運び、一例を挙げると、金蔵獅子は飛騨広瀬村から神通川伝いに越中にもたらされたとして百七十もの村名を挙げてその伝播経路を克明に記述し、逆にまた越中氷見獅子の高岡や加賀・能登への伝播を七十以上の村名を挙げてあとづけるなど、実に貴重な労作である。

「越中のヒジリ伝承」の章では、行基・泰澄・弘法などなじみ深い僧りょが登場し、その民俗学的意義が解明されている。浄土宗のヒジリ徳本や義賢の名は一般になじみが薄いが、かつて地中に熱狂的念仏ブームを巻き起こした注目すべき人物。その義賢を調べるため著者は新潟県や山形県まで踏査したという。

 越中は真宗王国で、そのため民俗信仰は貧弱だとの俗説もあるが、それは一面的な見方で、古来の民間信仰を基盤にして真宗教団が発展したと、いくつもの事例を挙げて著者は説く。いささかわい雑なチョンガレ真宗の背後に大きく寄与したとの指摘には驚く人も多かろう。そして著者は、従来の真宗史がこれを全く顧みなかったことを不満とした。

 北陸に真宗を広めた最大の功労者蓮如上人の忌日を「春山遊び」の日として人々は山に登って花見・飲食を楽しみ、真宗と民情とが和やかに融合している姿を、著者は生き生きと描き出した。本書をひもとけば、ふるさとの町、ふるさとの村が民俗学の光を浴びて、懐かしいメロディーを奏でるであろう。

 しかし著者はまた、数多くの祭礼や郷土芸能が高度成長下、その保存・維持・運営に悩み、観光祭への移行も多いことに言及し、大きな社会問題として深い関心と憂慮を示した。

著者は巻末で文献史学的研究も展開した。井波瑞泉寺を創立した綽如上人はその勧進文を起筆した堯雲とは同一人物とみなされてきた、それが通説であったが、著者は綽如、堯雲の筆跡を二百字以上集め、その精密な鑑定、さらにほかの史料も引き合わせ、別人であることを論証した。民俗学者でかつ史学者、そして真宗寺院住職でもある伊藤氏ならではの研究成果である。

 本書の原稿は数年前完成していたが、ふとした手違いからその原稿がごみ回収に出されてしまい、著者はあまりのことに茫然としたという。しかし再起奮励、本書を再執筆された。苦難を超えてこのすばらしい本書が日の目を見たことを、著者のため、郷土のため、学問のため、心から喜ぶものである。(越中史壇会副会長)


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