大石 学監修 太田 尚宏・佐藤 宏之編
『東海道四日市宿本陣の基礎的研究』
評者:和田 実
掲載誌:日本歴史653(2002.10)


 本書は、監修者の大石学氏が序文で述べるように、東海道四日市宿(伊勢国三重郡)において本陣を務めた清水家に伝来する古文書群に関する基礎的調査・研究の報告である。本書の構成ならびに内容は以下のとおりである。(中略)

 第一部は、近年その重要性が強くさけばれ、各地で実践成果が報告されつつある、記録史料学の方法を踏襲してなされた調査の報告である。第二部は、池田氏による清水本陣文書の休泊関連史料の分析、具体的に言えば本陣利用を@休泊以前の手続き、F休泊当日、B本陣の日常活動といった三つのテーマにより考察する論文に始まる。続く、大石・保垣論文も清水本陣文書を利用する内容となっている。第三部は、本書のメインとも言うべき清水本陣文書のうちの宿帳をデータベース化したものである。史料の翻刻・公開の方法は、かつては史料の目録化や活字化といった手段が主であったが、近年の情報処理の発展により、史料記載内容のデータベース化という新たなる手法がなされるようになつた。

 以下、私見を述べる。

 近世宿駅の宿泊施設に関する研究はこれまで、交通制度の一側面として取り上げられてきた感があり、本書は本格的に正面からこの問題を対象とする内容となっている。監修者が述べるように、本陣文書は地域史研究に大きく寄与するとともに、各地のネットワーク化により、交通史研究やその他の分野でも多大な成果をもたらすものである。休泊記録は、四日市宿の場合なら四日市宿のみの、言い換えれば点でしかないものが、他宿のデータと相互的に分析されればそれらは線で結ばれることとなる。

 私もかつてこのような視点から、断簡史料である・吉田宿本陣宿帳の分析を行ったことがある(和田実「東海道吉田宿本陣帳断簡について」『東海道五十三次宿場展\−二川・吉田−』豊橋市二川宿本陣資料館図録)。年紀を欠く断簡史料は、他宿の記録と比較することによりその年代などが確定される。現在、宿帳は私が把握する限り、東海道に限定すれば神奈川宿・大磯宿・小田原宿・箱根宿、三島宿・沼津宿・原宿・興津宿・江尻宿・島田宿・金谷宿・袋井宿・浜松宿・白須賀宿・二川宿・吉田宿・赤坂宿・池鯉鮒宿・四日市宿・石薬師宿・庄野宿・土山宿・石部宿・草津宿のものが現存し、それらの一部は目録化・活字化がなされていろ。活字化に比して情報量の少なさは否めないが、本書のようなデータベース化による史料情報の提供も今後盛んになることが望まれる。

 近年、深井甚三氏の『江戸の宿』(平凡社新書)によつて、宿泊施設に関する新たな研究視点が提起された。本陣のみならず、旅籠屋や木賃宿といった宿駅内の宿泊施設に関する研究は、近事盛んに議論されており、そのベースとなる史料を研究者が多く共有するためにも、本書のようなデータが今後重要性を増すであろう。

 最後に、少し細かいことで恐縮ではあるが、気づいたことを述べる。

 本書所載の論文のうち、四日市宿の事例を性急に一般化する箇所が見受けられる。すなわち、池田論文のうち、閑札に閑する論述は、関札と掛札の別は必ずしも利用によって区別されるものではなく、二川宿においては本陣が一軒しかなかったということもあるが、木製を関札、紙製を掛札と呼んでいた。これからも、複数の本陣が存した宿駅と単数のそれとでは本陣利用状況が違うことは容易に想定でき、考慮しなければならないことであろう。

 また、佐藤論文では、本陣には休泊料の支払いがなかったとするが、自身賄いや本陣賄いの別にかかわらず薪や水といった必要経費に対しては、利用者から支払いが行われ、二川宿では支払いを受けなかった場合、後に請求している事例もある。現在のホテルのサービス料に相当するものの支払いがなかったに過ぎない。

 巻末のデータでは、三二九ページからの享和四年(一八〇四)以降の「大福帳」では、史料には滞在目的である「上り」「下り」の別が記載されているが(『四日市市史』第十巻所収)、この表にはその情報が反映されておらず残念である。出来うる限り、あまねく情報を採用して欲しい。

 そして、史料に記載がないためなのであろうか、二七三ページの柳原資廉は、年頭勅使であるがその記載はなく、役職欄に括弧書きもしくは、備考欄への記載が欲しかった。また、二二〇ページよりの承応二年(一六五三)から万治二年(一六五九)にまたがる簿冊の記載には、順を追っていけば利用年がわかるが、一見して理解でさるような年始に何年といった記載があるほうが利便性がある。

 本書が今後の本陣文書研究に大きな影響を与えることは間違いなく、多くの利用に供せられることを望む。
(わだ みのる 豊橋市美術博物館学芸員)


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