大石 学監修 太田 尚宏・佐藤 宏之編
『東海道四日市宿本陣の基礎的研究』
評者:藤野 敦
掲載誌:学芸大学史学会『史海』第49号(2002.6.30)


 一、「本格的」な基礎研究
 一つの古文書群を、どのように整理・分析し、どのようにデータ化していくべきなのか。その一つ一つの作業が重要な研究進展へのステップであり、通常、幾多の人々の手を経てこれらが進められていく。しかし、本書では一つの継続した作業の中でこれらのすべての課程をこなし、またその経緯と結果を一冊の中にまとめ上げている。史料整理の多くは次のステップは後進の活躍に期待しつつ、きわめてニュートラルな姿勢で、網羅的に進められていく。もちろんこれらの作業の課程で一定の意図的な作為が入ることは務めて防がねばならない。しかし、一方で分析視覚を一定に見いだしながら一つの方向性を見据えて資料整理が進んでいくことも、方法論としては有意義なものではないだろうか。視覚を見出しながらある意味でのフィードバックを働かせつつ史料整理課程での視点が磨かれていくことは、より質の高い成果を生み出し、示すことになろう。その中で、本書は「古文書調査」の方法論に対する一つのアピールであり、実践を示した業績であるといえよう。基礎的研究と謳う論文、書籍はあまた発行されているが、その意味においては、その資料整理課程をも含めた、「本格的」な基礎的研究の成果といえる。

 二、資料の変遷と発刊の経緯
 さて、紹介が遅れたが、本書は東海道の伊勢国三重郡四日市宿の本陣清水家に伝来する文書である「清水本陣文書」に関する基礎的調査・研究報告である。基礎的な研究論文を六本配し、文書目録が掲載され、かつ休泊関係書類を、江戸時代を八割方網羅する形で一覧表としてデータ化した資料を配している。

 この「清水本陣文書」という史料自体は、一九三〇年の旧版の『四日市史』にも史料が引用されるなど、地域では古くから知られていた史料であった。しかし、文書群全体の把握はこれまで十分な調査が行われていたとは言えず、断片的に「抜き取り」という形で研究に引用されてきたようである。今回のスタッフを中心に一九九四年から四日市市史編纂の過程で「清水本陣文書」の調査が開始された。その膨大な調査成果は四日市市史の編纂へ大きな寄与をしたが、一方ですべての成果を「市史」へ掲載することは困難を極め、結果的に今回単行本としての発刊となった。その課程を含めて、長期にわたる綿密な作業の成果、質の高い調査の結果がうかがい知れる。

 三、本書の構成
 前述したが、本書は三部編成となっている。それに先んじ、「序」章では、清水家と本陣の変遷を示している。ここには本陣の平面図が六種示されており、文献との照らし合わせの中から、本陣の建物の変遷を視覚的側面からも想起できる。空間を具体的に、ここまで追いかけられる豊富な史料が存在しているという史料の価値の一端を思い知らされる内容である。まずは全体の章立てを示しておこう。(中略)

 第一部は、「清水本陣文書の整理と目録」と題され、保存状況の記録から目録作成までの調査課程を克明に記している。九〇年代以降の記録史料学の成果をふまえつつ、地域史料について、いわゆる「現状記録」を厳密に示し、整理していく課程を具体的な作業の経緯に即して示している。古文書調査の「現状記録」方法の具体的テキストと言い換えても差し支えない内容となっている。その整理過程を詳細に示した太田論文の後に、文書目録が約七〇ページにわたって掲載されている。

 第二部は四本の研究論文によって構成されている。池田論文は休泊業務文書を克明に分析し、本陣の業務の実態を明らかにし、二本の大石論文では、「作られた」赤穂四十七士の休泊文書が意味する時代背景を分析し、また尾張藩主徳川宗春失脚事件関連資料をもとに政治的・社会的背景を考察している。保垣論文は鞠鹿野開拓関連の史料分析を克明に行っている。

 以上、二部の論文は、単に「交通史」としての枠組みに留まらず、政治史・文化史・社会経済史の分野など、実に多種多様な側面からの分析が行われている。このようなテーマを設定し得るということ自体、本史料が幅広い時代の描き方が可能であるということを示している。

 第三部は休泊帳の分析およびデータが示されている。佐藤論文は休泊帳の克明な分析を試み、書式形態による分析、社会階層によって区別した通行の分析、「進上品一覧」など、多様な角度から本陣を通過する人々の姿をリアルに描きだしている。そして先に示した休泊帳のデータが一挙に示されている。

 四、本書の意義
 本書の意義については監修者自身が以下の三点について示している。
@「四日市地域の地域史研究と基礎整備」として
A「交通史研究の基礎整備」として
B「地域史研究・運動の実践例としての意義」
 特に興味深いのはA「交通史研究の基礎整備」の先駆として示されている「データ」化の実践である。第三部では一七〇余ページにわたる膨大な本陣休泊帳の一覧データが掲載されている。数年程度の欠損はあるものの、正保四年(一六四七)から明治二年(一八六九)の二〇〇有余年にわたる、江戸時代をほぼ網羅したデータで、四日市宿を往来した大名がほぼ正確に把握できるものである。また参勤交代にかかわらず、例えば明治初年のデータなどでは、新政府の関東経営のため、軍事的支配、あるいは地方支配の担当者が下向・往来している記録が残されている。編者も指摘しているが、これが全国の宿場・本陣データとして蓄積されてネットワーク化が進められていくと、それらのデータをリンクさせることにより、江戸時代、あるいは明治初期を含めた大名や旗本、維新政権の成立の過程の動きが人的な移動の側面で非常に具体的に把握することができる。データ蓄積の先駆的研究として、今後の進展を期待したい。そのためにもこの類の史料データ化の書式・ひな形の合意を学会で確認し、道筋を早急に示すべきであろう。データ蓄積が独自に進められ、結果的にリンクすることができない、などということにならないように、本書の刊行を期に、早急に一定の合意が作られていくことを切望する。

 多岐にわたる様々な研究の可能性をまだ持っている文書群である。今回、本書に所収された論文はある意味で一つのテーマで設定されたものという印象は受けにくい。それはつまり、今後もこの文書に対しての調査・研究が継続され、一つの型をなしていく課程にある状況だと推察した。本書の持つ意義の大きさに敬意を表しつつ、今後調査を総括する続編が登場することを心待ちにしている。

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