大森恵子著『年中行事と民俗芸能 但馬民俗誌』
評者・鈴木昭英 掲載紙・宗教民俗研究9(99.6)


宗教民俗と民間芸能の研究で知られる大森恵子氏が、このたび表記の著書を出版なされた。『念仏芸能と御霊信仰』(一九九二年、名著出版)、『稲荷信仰と宗教民俗』(一九九四年、岩田書院)に次ぐ第三弾の力作である。短期日のうちにこれだけの成果を世に問われることは驚きでさえある。精魂こめて研究を進められ、このような業績を上げられたことに深い敬意を表するとともに、祝意を申し述べたい。
氏は民俗研究の基本的在り方というものを熟知し、あくまでも現地調査に徹し、伝承資料を見聞して実態や実情を把握し、その上に立って思索を練るという過程を繰り返し行われている。そのためには多くの時間と労力をかけなければならないが、本書においてもそれは十分果たされている。したがって現場の資料が盛りだくさん収められていて、ずっしりと読みごたえがある。地域民俗誌であるから貴重な伝承資料を郷土のために記録して残すとともに、これを広く学界に提供するのであり、その功績はまことに大きい。
本書は、著者の郷里、兵庫県の北部日本海側、但馬地方における民間の年中行事や芸能を中心とした地域民俗誌である。これまで町史の民俗編や研究同好会の機関誌などに発表してきた報告文や論文をまとめたもので、一部に新稿を加えている。その町史とは『竹野町史』と『養父町史』であり、学会誌には近畿民俗学会の『近畿民俗』、京都民俗談話会の『京都民俗』、まつり同好会の『まつり』、『まつり通信』などがある。自ら研究目的を掲げて調査に赴き内容を特定したものがある一方、町史の分担執筆の立場からのアプローチもあり、それらの総合成果がこの一書にまとめられたといえるであろう。
それでは本書の内容を概観してみよう。まず主要な目次(章・節まで)を掲げてみる。
(目次省略)
「序」章は本書の導入部をなすもので、ここでは「但馬地方の概要」「年中行事」「民俗芸能」「祭礼」の四項目を立て、それらを概説する。但馬の年中行事の中心は一月の正月行事と八月の盆行事にあるが、両者とも祖霊を祭祀して穀物の豊かな収穫を神仏に予祝することに主眼があったとする。また、年頭の年占や農耕期の御田植祭り、地蔵盆の行事をはじめ、但馬の各地に伝わる民俗行事の大部分は豊穣を祈る祭りであると言う。そして、但馬地方には凶作や疫病をもたらす悪霊(御霊)を鎮めて地区外へ送り出し、恩寵を期待する行事が数多く伝わっているとして、その鎮送の在り方の分類を試みる。ついで、但馬地方は民俗芸能の宝庫であると位置づけ、その中の特色のある風流踊りと風流太鼓踊りを解説し、さらに但馬地方の代表的な春祭り・夏祭り・秋祭りを紹介する。
第一章。第一節では、大歳に各家を訪れる「正月さん」(歳神)は祖先神であるといい、その祭りに伴う年籠りや火賜りの習俗を紹介する。次に、門松を立て、鏡餅を供え、餅花を飾ることの意義を述べ、鏡餅や餅花を年徳棚や歳桶に飾るについては寺院の修正会、修二会よりの移行と浸透を考える。最後に、正月初めの「御頭渡し」や歳桶をしつらえて歳神を祭る習俗を詳しく紹介する。これらは但馬地方を中心とするが、全国的な事例も引き合いに出しているので読みごたえがある。
第二節では、但馬地方の小正月行事「狐狩り」「狐がえり」について、形態を分類してそれぞれの事例を紹介し、行事の宗教的な意味を考察する。「嫁の尻張り」やドンドなど他の行事と結合したところもあるが、この本来の行事には狐が悪事をなすものの象徴として地域外へ追い出すことに主眼があるものと、狐は神(祖霊神)であるとして丁重に送るものとがあるとする。
第三節では、但馬東部地方で二月節分後コトの餅をついてコトの神を祭り、コトの箸を庭木に吊して五穀豊穣や地区内の安泰を祈る習俗を紹介するが、コトの神は山の神とも信じられた可能性があるとし、コトの日は山の神が耕作始めにあたって山麓に下りて田の神になり、その田の神に豊作を祈願する日でもあったと推定する。
第二章。城崎郡竹野町と養父郡養父町の春から夏にかけての行事を紹介する。竹野町のそれは五月行事(五月節供・八日花・花祭り・数珠繰り・サオリ)、六月行事(氷の朔日・男の節供・箸納め・サノボリなど)、七月行事(田祈祷・半夏祭り・川すそ祭り・蛸薬師祭りなど)で、養父町のそれは三月行事(三月節供・春亥子・三月初午・ネハンサン・春彼岸など)、四月行事(シガサンニチ・妙見参り・水口祭り・女の節供・卯月八日など)、五月行事(田の神祭り・五月節供・花祭り・お釈迦さんの笠・テントウ花・サナボリ・妙見参り・田祭りなど)、六月行事(氷の朔日・男の節供など)、七月行事(七夕流し・堂のはじめ・ウレエヤスミ・大休み・亥祭り・土用の入り・地蔵盆など)である。
第三章。前章に続くもので、八月の盆行事について竹野町と養父町の事例を紹介する。竹野町では盆の準備(釜蓋朔日)、七日盆(墓掃除・寺施餓鬼・棚経・七施餓鬼)、盆花採り、八月十三日の盆(初盆飾り・施餓鬼棚・仏壇飾り・墓参り)、八月十四日の盆(墓参り・初盆参り・盆踊り・新精霊送り・六斎念仏)、八月十五日・十六日の盆(村施餓鬼・仏送り・送り火)、数珠繰り、百万遍念仏、盆小屋、地蔵盆、万灯など、養父町では盆の準備(釜蓋朔日・七夕・七日盆・盆花採り・棚経)、盆行事(八月十三日の仏壇飾り・墓参り・迎え火、八月十四日の墓参り・念仏・初盆参り・迎え火・盆踊り、八月十五日の墓参り・迎え火、八月十六日の仏送り・盆施餓鬼・ズズクリ・送り火)、地蔵盆、万灯(愛宕火)、四十八夜念仏などである。次いで、これに付加する形で但馬地方の海と川における精霊流しのありようを紹介する。
第四章。第一節は、但馬地方で行われる地蔵盆の多様な形態の中から賽銭強要の習俗や盛り物、百万遍念仏などに焦点をあて、それらがもつ宗教的意味を考える。特に盛り物の変化について一つの仮説を立てているのが注目される。盛り物の原形は粢団子であり、それが花串・花団子となり、さらに風流化して鳥や野菜に変化し、最後に紙製の造花になったと推定する。盛り物は死者や祖霊を供養する供物としての粢団子から出発したが、後には種々細工がなされ、祖霊に収穫の感謝と豊作の祈願をするようになったともいう。そのことから、地蔵盆は祖霊祭りであったと結論づけてもいる。
第二節は、「愛宕信仰と地蔵信仰」の項で京都の愛宕大権現と本地勝軍地蔵、但馬地方の愛宕信仰と愛宕講に触れ、「愛宕火と験競べ」の項で修験の験競べと柱松、但馬地方の愛宕火・万灯など、興味深い信仰行事を論述する。但馬地方の愛宕講は火防せを願う愛宕信仰が浸透したものであり、それは愛宕権現の本地勝軍地蔵に寄せられた地蔵信仰であったとする。つまり盆月二十四日の地蔵盆は、祖霊や新精霊を祭るお盆とは別のものであり、愛宕の本尊としての地蔵の祭りであったが、地蔵信仰の本質である死者供養の要素が表出し、地蔵盆は送り盆ともいわれて祖霊鎮送の日ともなったと推定する。
第五章。竹野町と養父町の民俗芸能を概観する。第一節では竹野町の風流太鼓踊り・獅子舞・盆踊り・新保広大寺踊り(きょうせいさん)・三番叟・地芝居・放浪芸・座敷芸などを紹介するが、特に風流太鼓踊りについて、これは荒ぶる御霊の祟りを鎮める呪力をもつ芸能だとし、御霊信仰より発生したものと推定できるとする。盆踊りについては、本来は盆に訪れた祖霊や新精霊を供養したものとみる。きょうせいさん(きょうせんさん)は越後から伝わった新保広大寺踊りだとする。三番叟は農事にかかわる地固めであり、悪霊を鎮める呪的動作だという。
第二節では養父町の養父神社御田植神事・船谷えんや踊り・盆踊り・地芝居・囃子・太鼓打ち芸・放浪芸を、第三節では城崎郡日高町鶴岡の獅子舞・太神楽、養父郡大屋町横行のてるてる踊りを紹介する。
第六章。竹野町と養父町の民間歌謡、すなわち仕事唄・祝儀唄・行事唄・遊び唄・俗謡などを記述する。
第七章。養父町の民間説話(本格昔話・笑話・動物昔話・伝説・形式譚)と遊戯・通過儀礼(産育)を紹介する。
以上で章立て構成の本文編の概要を記したが、但馬の年中行事や祭礼、民俗芸能や民間歌謡などの集大成といっても過言でなかろう。その中には氏独自の見解を展開するところもあり、傾注すべき論説が多く見受けられる。しかし大胆な推論もあり、それを是認するにはなお果たさねばならぬ課題もある。その一々について言及することは控え、ここでは本書構成上の立場からする二つの点について述べるにとどめたい。
まず、調査研究対象としての地域の問題がある。但馬という特定地域に焦点をあて、そこにおける民俗の特性を明らかにすることを心がけたもので、それはある程度為し遂げられたといえるが、万全とはいえないであろう。但馬の中でも小地域に限られているという点は否めない。年中行事にしても芸能、歌謡、説話にしても、竹野町と養父町が中心である。両町の事例だけで第二章、第三章、第五章、第六章、第七章の全体を構成している。量的には本書の五分の三を占めるのである。いうまでもなくそれは、著者が両町史民俗編の調査、執筆に携わった成果によるのである。自治体の民俗誌編さん事業が大きな効果を現している証拠でもあるが、まだまだ但馬地方には民俗調査に入るべき市や町が多い。それらを悉皆的に調査研究してこそ、地域の特性が明らかになる。その意味で、大森氏の更なる精進に期待をしたい。
次に、年中行事で取り扱う範囲の間題である。年中行事に関する記載は本書の五分の三強を占め、その主要部を形成するが、そこで扱われる範囲は正月行事から八月の地蔵盆行事までであり、その後の九月から十二月にかけての秋や初冬の行事にはあまり触れられていない。これは片手落ちと言わざるをえないであろう。年中行事は正月と七月(新暦八月)にピークがあり、正月行事と盆行事は祖霊を迎え祭るという点で共通していることは民俗学者の一致して説くところであり、大森氏が但馬の年中行事を述べるに際し、この正月行事と盆行事に力点を置いたのは順当であろう。だが、もともと年中行事は生産過程の移り変わり、とりわけ稲作の栽培、収穫の過程が時のリズム感を生み、それが一年を幾つかの節(折り目)に分け、その節にあたって神を祭り、神供を設け、これを人びとと相ともにいただくことから出発したとも言われている。したがって、秋から冬にかけての行事も見逃してはならない。
一年を周期としてみたとき、春の行事と秋の行事とが関連しする立場にあり、それが同一の神信仰で結ばれていて、しかもその双方の祭りが異なった役割をするということは、農民の田の神祭りに端的にうかがうことができる。たとえば、本書によると、鳥取県から兵庫県にかけて旧暦二月の亥子に春亥子、旧暦十月の亥子に秋亥子の行事が行われるが、但馬地方では春亥子に田に降りた田の神「亥子さん」が、秋亥子に田仕事を終えて田の持ち主の家に帰り、その家で丁重に祭られた後に山に帰ると信じられていたという(第二章第二節)。田の神の春秋における去来の信仰とそれに伴う祭りの習俗は全国的に見られるが、春秋の両度に祭りがなされるのは田の神に限るものでない。本書に説かれている社日の神やコトの神などもそれである。いずれにしても、一年間を通して見てゆくことが重要であろう。そうすれば、年中行事についての解釈もおのずから変わるものが出てこよう。したがってこのような観点から、秋より初冬にかけての行事も、調査のうえ是非補ってもらいたいと思う。
本書は多数の挿図、一覧表、写真を掲載して本文の理解を容易にしている。ことに一覧表の作成は、調査が行き届いていなければ記載は不可能であり、苦労の多い仕事であるが、それが的確に精細になされている。
巻末に幾つかの付録をつけるが、その中で注目されるのは浜坂町前町長との対談の記録である。このような研究書に収録するのは珍しいことであろうが、民俗芸能の伝播と定着、地域の特性を見るうえで参考になる。新たに書き下ろした「但馬地方の年中行事一覧」と「但馬地方の民俗関係文献一覧」は有用である。ことに後者は、単行本・雑誌・論考・史誌料に分けて民俗関係の文献を細大洩らさず収めており、この地方の民俗を調査、研究する際に大きな手がかりを与えてくれるであろう。
(すずき しょうえい/上越教育大学非常勤講師)
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