大石学監修 太田尚宏・佐藤宏之編集『東海道四日市宿本陣の基礎的研究』
評者・和田勉 掲載誌・三重の古文化87(2002.3)


 『東海道四日市宿本陣の基礎的研究』を読んで
 昨年東海道宿駅制度四○○周年を迎えて、東海道各地で記念行事も開催され、県下でも桑名・四日市・亀山・関などでも東海道にかかわる催しが行われた。しかし、県下の東海道宿駅制に付いての独立した文献の刊行は見られなかった。市町村史には、宿駅についての記述は見られるが、独立した文献としては、鈴鹿市教育委員会『東海道石薬師・庄野宿文書目録』(一九八九年)しかなかった。
 ところで、このたび東京学芸大学教授大石学の監修のもと、太田尚宏(徳川林政史研究所)、佐藤宏之(一橋大学大学院博士課程)池田真由美や地元四日市などの人びと等の調査・編集によって、刊行されたのが本書である。

 四日市本陣の概要
 四日市宿は、徳川家康と関係は深く天正一八年(一五九○)にすでにその所領であった。江戸期は、港町でもあって東海道の中でも重要な宿駅の一つでもあった。
 この宿場には、本陣が二軒あったが、当初から明治まで変わることなく経営されていたのは、清水太左衛門家であった。清水家は、その由緒に依れば戦国期に日永村から四日市に来住し、元亀年間(一五七○〜七三)に本陣を建て、のち幕府から苗字・帯刀の特権を与えられたと伝えられている。この家に伝来する数多くの文書は、数々の災害から免れ保存され、貴重な存在であるが、今まで完全な調査、報告をされたことはなかった。

 構成と内容
 本書の構成は、大きく三つの部から成立している。
 第一部は「清水本陣文書の整理と目録」で、四日市宿と清水本陣の概要、清水家文書の保存状況と文書内容を記している。この部分は、膨大な古文書をどのように整理すればよいのかを新しい手法によって示したものである。
文書内容の分類は、四日市町・宿に係わるもの、清水家に係わるものに大別され、町・宿については、支配・運営・助成・絵図に、本陣については、公武休泊・通行、廻達、経営、助成、交際など本陣に関する多面にわたるものを分類・整理し、資料の理解・使用に便利成らしめている。
 第二部は、これらの資料を用いた研究として、三例がある。その一に大石学による「赤穂事件」にかかわった人々として、四十七士などの休泊の記録から歴史的、社会的な意味を見だそうとしている。たとえば、大石らの宿泊を宿泊帳でみると、四十七名が連れ立ってではなく、三十六名であり、講談などと異なる点なども明らかにしている。
 その二例は、同氏による尾張藩主徳川宗春の失脚に関する元文四年(一七三九)正月の資料を中心として、この事件の政治的・社会的意義を考察している。
 第三例としては、清水家が明冶初年鈴鹿の鞠鹿野開拓の実態解明を保垣孝幸の研究によって示している。
 研究例は、この本陣文書をどのように活用することが出来るかという一つの見本のようなものであり、基礎的研究としてなので、これらの事例は本格的により深く研究する必要はあろう。
 第三部は、清水家本陣休泊一覧である。
 清水家に残された休泊に係わる文書は、慶長六年(一六○一)から明治二年(一八六九)までの約二六○年余に及ぶ膨大なものである。その詳細な内容の一覧ができたことは、研究者にとって喜ばしいことである。この休泊の記録には、大吉萬福帳・大福帳・諸家様記録・御休泊録などの種類がある。
 この一覧では、体泊者と藩名・石高・役職、滞在月日、休泊の形態、通行の目的、滞在形態、休泊者からの拝領物、進上品などを表にしたものである。この一覧表は、清水家本陣文書を利用してさまざまな研究を行いたい人への手引書となり得るものであろう。
 また、そのほか「公武往来記録」類が慶長六年から存在する。それから様々な事柄もわかる。たとえば、四日市を通過した九州・畿内・伊勢の諸大名、公家をはじめ阿蘭陀衆、動乱期・維新期の人びとの動きなどもみられる。これら資料の活用如何によっては、郷土史をはじめ、交通史・江戸時代の世相史・政治史等に新しい光を与えることのできる文献であろう。
 本書では、基礎的研究としての発刊であるので、それぞれの個々の書類の詳細な内容については物足りなさを感じる向きもあろうが、今後宿駅・交通史など郷土史研究などの文献の一つとして役立つものであろう。(四日市市市史編纂室勤務)

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