浅倉直美編『戦国大名と国衆3 北条氏邦と猪俣邦憲』

評者:秋山 正典
「群馬文化」309(2012.1)

 本書は「戦国大名と国衆」という主に東国の国衆の研究にスポットライトをあてたシリーズの第三巻にあたる。このシリーズの目的は〈これまでの戦国大名・国衆といった地域権力に関する研究のうち、とくに研究成果が充実しているものについて、個々の大名や国衆ごとに研究成果を総括し、新たな指針を示すことが、これからの戦国史の研究のさらなる進展のため〉としている(黒田基樹「刊行にあたって」)。
 本書が刊行してからしばらく経過しているため、本稿を執筆した時点ではすでに六冊刊行されている。(@大石氏(武蔵国)A藤田氏(同)C三田氏(同)D小山田氏(甲斐国)E尾張織田氏(尾張国)以下続刊)第二巻の藤田氏も名跡を継いだ氏邦の支配下であり、特に本書と関連するものである。
 北条氏邦は小田原の戦国大名北条氏康の四男で、武蔵国鉢形城を拠点に領国支配を行った。とくに天正十年(一五八二)武田氏滅亡以降は上野国支配の中核を担った。一方で猪俣邦憲は氏邦の家臣であり、同二十年の小田原の役の発端となった名胡桃城を攻略した人物でもある。
 氏邦とその家臣団の研究は約七〇点であるが、そのうち個人の論集に未収録の論文を中心に一五本採録している。
 巻頭でその研究史をまとめ、第一部では「北条氏邦と鉢形領支配」として八本の論文を掲載している。第二部は「猪俣邦憲と氏邦の家臣たち」として七本、計十五本の論文を掲載している。巻末には「文献目録」と「氏邦発給文書一覧」も掲載されている。
 紙面の都合ですべての論文を紹介することはできないが、上野国関係の論文として、以下の四本を紹介する。

唐澤定市「後北条治下の上野(一)−榛名峠城法度について−」(『群馬県史研究』九 一九七八)
平岡豊「猪俣能登守について−沼田城主としての活躍−」(『国学院雑誌』八五巻一〇号 一九八四)
赤見初夫「榛名峠城と権現山城及び雨乞山の要害について−城の変遷とその位置をめぐって−」(『群馬文化』二三九号 一九九四)
浅倉直美「榛名峠城の所在地について」(『戦国史研究』三九号 一九九九)

 いずれも第二部所収で北条氏邦家臣猪俣邦憲・榛名峠城に関する研究である。
 唐澤氏は邦憲が発給した十三箇条の「榛名峠城法度」を紹介と解説された。
 平岡氏は邦憲の出自を明らかにしたうえで、関連文書の検討により天正十五年から箕輪城主として、さらに同十七年から沼田城主であったことを明らかにされている。
 赤見氏はこれまで通説で同一視されてきた「榛名峠城」と「権現山城」を関連資料の検討などから区別された。
 これを受けて浅倉氏も「榛名峠城」の所在地を、箕輪城から吾妻郡の大戸城のつなぎと考えた上で再検討されている。
 今後由良氏など上野国関係の国衆に関するシリーズの刊行を期待したい。


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