有光友學著『戦国史料の世界』

評者:鈴木 将典
「古文書研究」71(2011.5)

 本書は、有光氏が自治体史の編纂にともなう調査などで発見した、新出史料の紹介と分析を中心に、戦国期の史料に関する論考を収録したものである。前書『戦国大名今川氏の研究』(吉川弘文館、一九九四年)が今川氏の領国支配の全体像をまとめているのに対し、本書は個別の史料に関する基礎的研究として位置づけることができよう。
 本書の構成と各論考の初出年は以下の通りである。なお、丸数字は各論考の内容を紹介する必要から、評者が便宜上つけたものであることを予めお断りしておきたい。

 第一部 文書の世界
  @今川氏当主発給文書の概要(初出一九九四年)
  A「由比氏文書集」の紹介(初出一九八一年)
  B「御家中諸士先祖書」収載の今川氏発給文書(初出一九九二年)
  C一通の今川義元受領文書(初出一九九五年)
 第二部 文書の考察
  D今川義元−氏真の代替り(初出一九八二年)
  E臨在寺蔵 今川義元判物(初出一九八九年)
  F河東一乱終息の顛末(初出二〇〇四年)
  G感状に見る戦国期の「戦争」(新稿)
 第三部 印章・印判状の世界
  H今川氏の印章と印判状研究(初出二〇〇六年)
  R今川氏印章台帳(初出二〇〇四年)
  J今川氏印判状の機能(初出二〇〇六年)
 第四部 系図の世界
  K大宅氏由比系図(初出一九八一年)
  L葛山氏の系譜(初出一九八六年)
  M孕石氏系図(初出一九九八年)
 第五部 図面の世界
  N駿河国長慶寺周辺寺領図写(初出一九八九年)
  O韮山城砦と総構・内宿(初出一九九八年)
  P韮山城下市町の様相(初出一九九八年)
 付録 文字の世界
  Q「丈」と■(「丈」の一画多い字。以下同じ)(初出一九七六年)

 第一部の@は『静岡県史』資料編の編纂に際して、中世三・四に収録されている今川氏当主発給文書の現存状況をまとめたものである。今川氏の基本資料としては、戦前に刊行された『静岡県史料』(仝五巻)があるが、ここに収録されている文書の追跡調査と、県外公的機関に所蔵されている写本類の調査によって、『静岡県史料』の約二倍、一二五〇点にのぼる今川氏当主発給文書の所在が判明したとされる。
 以下、今川氏発給文書の調査過程で得た新出史料の紹介に移る。Aは駿河国庵原郡由比の在地領主であり、今川氏の家臣として活躍した由比氏の受給文書や系図を筆写した「由比氏文書集」の翻刻・紹介を行ったもの。Bでは紀州藩士の伝来文書を収録した「御家中諸士先祖書」のうち、大村家宛の今川氏発給文書と家譜の分析を通して、戦国期の今川家臣大村氏の動向を追っている。Cは数少ない今川氏歴代当主の受領文書の中から一点の正文(今河治部大輔宛他阿弥陀仏書状)を見出し、これを今川義元宛のものと確定した上で、義元と清浄光寺との関係や、本文書が現存した理由について考察を行っている。

 第二部では、今川氏発給文書に関する短編の論考をまとめている。Dは永禄三年(一五六〇)に義元が死去する以前の氏真発給文書の分析を通して、義元−氏真の代替りの状況を考察したものである。ここでは、氏真が永禄二年五月以前に今川家の家印である「如律令」を譲られ、今川氏家督と駿河・遠江支配を継承するとともに、三河支配に専心する義元との間で役割分担ができていたことを明らかにしている。Eでは静岡市臨済寺所蔵文書の調査の中で、これまで真偽が議論されてきた「今川義元寺領寄進判物」について分析した結果、同文書が正文ではなく、年次を遡らせて作成された写であること、正文はその際に処分された可能性が高いと結論づけている。Fは天文六年(一五三七)から同十四年まで続いた今川・北条両氏の抗争(河東一乱)の終息を、調停者となった武田氏の立場から読み解いたもの。Gでは戦国期の感状に記載された戦功から、当時の戦闘の様相と武器(刀・鑓・弓矢・鉄砲など)の使用状況について検討している。

 第三部は、今川氏当主の印章と印判状に関する研究である。Hでは今川氏歴代当主が使用した印章の特徴を挙げ、寺社・家臣・郷村に村する印判状の割合をまとめている。Iでは印章の台帳と目録を収録し、続いてJでは、今川氏発給文書を禁制・感状・宛行などの十四項目に分類した上で、書判状と印判状がどのような場面で使われたかという点や、領国支配における印判状の機能について論じている。

 第四部は、新たに発見された史料から今川氏家臣の系譜を再検討したものである。Kでは「大宅氏由比氏系図」、Mは「孕石氏系図」の翻刻と紹介を行っている。また、Lでは「今川為和集」頭註朱記に記された、駿河国駿東郡の国衆葛山氏の歴代当主について考察している。

 第五部のNでは、静岡市臨済寺が所蔵し、静岡県史近世史部会の調査で発見された「長慶寺周辺寺領図写」を、今川領国下で作成された裁許図であり、戦国期の寺領の実態を示す図面として紹介している。Oは韮山城、Pは同じく韮山城下町の構造を現在に残る小字名から読み解いたものである。

 巻末のQは、嘉吉三年(一四四三)に作成された遠江国初倉庄江富郷の「検地目録」の分析である。有光氏はこの中で、目録の数値の計算が合わないことに注目し、結果として「丈」(一反の五分の一=七二歩)と「■」(〇・五丈=三六歩)の違いを発見している。

 本書で取り上げられている史料の内容や、有光氏の翻刻について論評することは、評者の力量では及ばないため、本書が刊行されたことの意義や、有光氏の成果を踏まえた今後の課題について述べるのみでご寛恕を請いたい。
 本書の意義は、「あとがき」で有光氏自身が「限られた文書史料に頼りがちな戦国期研究において、そのすそ野を拡げようとしたもの」と述べている通りである。新出史料の発見と紹介は一見地味ではあっても、研究上では非常に重要な成果であり、初出論考の中には現在入手しにくいものも存在する。これらが有光氏の最近の知見を加えた上で、一冊にまとめられたことは貴重である。
 近年の後北条氏研究、武田氏研究がそうであるように、史料集の刊行を中心とした新出史料の活字化が、戦国期研究に多大な恩恵をもたらしていることは言うまでもない。今川氏についても、有光氏が編纂に関わった『静岡県史』に続き、現在刊行中の『愛知県史』や『戦国遺文今川氏編』などによって、研究の素材となる史料の数は以前よりも飛躍的に増えている。
 今後の課題は、有光氏自身が本書で言及されているように、このような史料集の刊行という成果を、評者を含む後進の研究者が如何に活用していくかであろう。第三部の印章・印判状に関する研究は、今川氏歴代当主の発給文書を博捜した、有光氏ならではの成果の一つといえる。その一方で、付録において影写本の再検討から「丈」と「■」の違いの発見に到ったように、活字化された史料の疑問点を一字一句まで徹底的に追究する姿勢も見習わなくてはなるまい。
 本書は論文集でありながら、史料の翻刻と写真とがともに収録され、一字一句を読者が吟味できる点に特徴がある。また、取り上げた史料についての明確な評価を避け、後学の判断に委ねている部分も多く見受けられるが、史料批判に対する有光氏の慎重な姿勢を窺わせる一方で、読者に対して大きな課題を示したともいえる。

(駒沢大学文学部非常勤講師)


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