盛本昌広著『中近世の山野河海と資源管理』

評者:白水 智
「日本歴史」753(2011.2)

 現在でこそ「資源管理」「資源椎持」などの用語が歴史学の論文にも散見されるようになってきたが、一九九○年代前半にはそのような視角からの研究はごく薄かった。ところが、本書所収論文のうち、「資源管理」を標題に冠するものがすでに一九九四年に初出となっている。著者の盛本氏は、必ずしも学界の主潮流の中では関心をもたれなかった社会史的分野にいち早く取り組んできた実績があるが、本書に収められた諸論文は、まさにこの分野においての先駆的な業績であったことを改めて知る。

 本書は二部から成り、序章のあと、第一部では山野の問題(一〜六章)、第二部では漁業の問題(一〜四章)を扱っている。また末尾には展示評と書評各一編を付論として収める。各章の標題等詳細については、紙数の関係で、ここでは割愛する。
 本書の特徴としては、タイトルに「中近世の」とあるように、平安末から近代に至る広範な時代を対象としていること、古文書以外にも記録から歌集、説話集まで多様な史料を駆使していること、考古学・民俗学はもとより花粉分析などの生態学的データ、林学的知見などを幅広く援用していることなどが挙げられる。それは、著者が「あとがき」の中で資源管理に関わるテーマを「現代社会が直面している問題に歴史学が直接的に貢献できるものの一つ」と表明していることから知られるように、明確な目的性をもった緊要な研究分野と認識していることと深く関連しているであろう。続けて「他の学問領域の成果を取り入れた上で、歴史学固有の方法論もより鍛えられるべきであろう」と述べるように、使える方法論や史資料は積極的に利用しようという姿勢が、この目的意識と相まって本書の成果を生み出したといえよう。評者も近年多分野共同の研究に関わっているが、その中で歴史学の果たす重要性を再認識しており、この著者の主張には大きな共感を覚える。
 総体的には充分評価すべき業績といえるが、いくつかの点で疑問を感じる部分もある。
 以下、構成に関わる問題から個別の論点まで気づいた点を挙げておきたい。

 第一は本書の全体的な構成、すなわち第一部と第二部との整合がどのように図られているのか、全体像が見えにくいという問題である。第一部は「山野における資源管理」と題され、主に中世(使用史料は鎌倉期と戦国期とにほぼ二分される)の山野の問題を扱い、第二部は一転して「漁業資源管理」の標題のもと、近世末期を中心とする江戸内湾の漁業を扱っている。ともに資源の利用や管理という関心から取り上げていることは理解できるが、時代的にも内容的にも相互の直接的な関連はほとんどない。両者を繋いで本書の全体テーマに引き継いでいく説明章があれば、資源管理の時代的変遷や各時代の政治的ガバナンスとの関係性、山と海の共通点・相違点などの論点整理がなされると思うが、そうした総括が設けられていないため、山と海は分断されたままという印象を受ける。あえていえば第一部第一章「山野河海の資源維持」が山野のみならず河海にも言及しているが、ここでも両者の関係や時代性についてはほとんど触れられていない。

 第二に、山野河海に賦課される税は公事の系統を引くものとの理解がある(第一部第五章「中近世移行期における野銭の成立」)。『地方凡例録』を引きながら一部年貢系の負担があったことには触れるが、それ以上の深まりはなく、基本的には山野河海の産物は公事系統の負担として論は進められている。確かに農業中心の平野部などでは、年貢は農産物とりわけ米であることが多く、山野河海からの生産物は雑役的な扱いで公事に相当する場合が一般的である。しかし本書で扱うような、山野河海こそが生業の場となる地域では必ずしもそうではない。第一章で取り上げられている若狭国沿岸部では、塩や魚などの海産物が「年貢」とされているし、近世でも小物成や運上・冥加としての貢納ばかりでなく、「海高」を設定するなど年貢扱いでの賦課を行う場合も多く見られる。非農業的な生業に対する賦課は、その社会的位置づけや支配関係を考察する重要な手かがりであり、より慎重な分析が必要と考えられる。

 第三に、史料解釈に際して、充分な根拠の明示がないまま論を進めている点が多く、気になる。第六章「中世の山守」を例に取ると、神野・真国荘における山守の役割や意味(二○三頁)、山守と号する不法な差し押さえが「しばしば」行われていたと頻発を示唆する点(二○六頁)、近江葛川において顛倒木が競売にかけられたとする点(二一二・二一三頁)、若狭国辺津浜山の山守職に補任されたのが友貞・正国ではないとする点(二一四頁)など多数にわたる。また、結論部分で強調されている山守の「両義性」(「山の保護と犯罪予備軍という両義性」〈二二三頁〉や「聖性を帯びる一方で、卑賤視されるという両義性」〈二二五頁〉)についても、両義性を帯びる理由として「中世の山が特殊な空間として認識されていたから」(二二三頁)と述べるだけでは不充分ではないだろうか。
 なお山守が犯罪予備軍であったとされる点については、明確には史料上確認されていない。山立や山廻の語は犯罪予備軍的な文脈で現れるが、それを山守と同じものと短絡させるのはいかがなものであろうか。
 本書では、「山守」にせよ「野銭」にせよ、山野河海にまつわる語彙を史料を博捜して明らかにしていく基礎的な仕事が行われている。それ自体は高く評価できるが、史料をより慎重に扱う必要があるだろう。

 もはや紙数が尽き、第二部の諸論文について触れる余裕がなくなってしまった。一つだけ、第一章「近世「内海」漁業の展開」で重要な論点となっている惣代制について述べておく。文化一三年の議定書に四十四浦全体と各郡単位と二重に年番惣代が置かれていたとするが、掲示史料による限り全体の惣代の存在は読み取れない。見えるのは全浦参会のための事務を御菜七ヶ浦が年番で行うという規定である。

 なお、最後に注文をつければ、本書には、扱っている地域の地図が全く掲載されていないのが悔やまれる。とくに第二部は江戸内湾がフィールドとされ、多くの浦々が登場する。土地勘のない読者にとっては、郡の配置や浦々の位置関係がわかれば、内容を理解するうえで大きな手助けになったであろう。
 何はともあれ、中近世の分野で自然資源の用益やその管理を明確に標題に掲げる著書が刊行されたことは先駆的で大きな意味をもつ。今後この分野では必読の書となるであろう。
(しろうず・さとし 中央学院大学法学部准教授)



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