植木行宣・田井竜一編『祇園囃子の源流』

評者:山路興造
「民俗芸能研究」49(2010.9)

 私は昨年暮れ『京都 芸能と民俗の文化史』(思文閣出版刊)という論文集を発刊した。京都の芸能や祭礼、民俗行事に関する論稿を一冊にまとめた書であるが、その三分の一は祇園祭りに関する論考であった。その中の論考の一つに「祇園祭りの芸能と囃子」というのがあるのだが、これはもともと祇園祭山鉾連合会から一九八七年一一月に刊行された『講座祇園囃子』という報告書に「祇園囃子の源流と変遷」と題して書いたものである。今から二三年以前に、祇園囃子伝承者を対象にした講座でしゃべったものが基本なのだが、当時としては祇園祭りの歴史や、山鉾の成立とその変遷に関して、新しい見解を盛り込んだつもりであった。もちろんマイナーな講演録であった故に多くの人には読んでもらえなかったと思うが、私の民俗芸能研究論考のなかでは、それなりの成果であったと思っている。
 もちろん本書は、私のそんな論考とは別に、祇園囃子を中心に、山鉾で展開する多くの芸能や音楽を本格的に共同研究した論文集であるのだが、二三年前に祇園祭りの山鉾の歴史に真剣に取り組んだ私にとっては、待望の論文集なのである。
 とここまで書いてきて、もう一度本文のうち巻頭の田井竜一氏の総括「〈祇園嚇子〉の源流−風流拍子物・羯鼓稚児舞・シャギリ−」を読み返してみて愕然とした。私のささやかな論に対しては、これまでも幾つかの反論や異論が出ており、それに対しては私も真摯に受け止めているのだが、この論では敢えて私の論を無視し言及しないという態度で一貫している。本論が全体の総括であり、各論の内容を紹介し、研究史の上に位置づけようとしていることはわかるが、やはり新しい祇園囃子研究の根幹の所に私の論があることは触れて紹介して欲しかった。もちろん個別の事象に対する批判のなかには私の論も登場するのだが、祇園祭りの山鉾とその芸能・囃子に関する共同研究の総括に、それ以前に存在する私の論に対する言及がないということは一種の悪意さえ感じられ、不快な思いである。私は自分の過去の論文に対してそう思い入れはない性格であるのだが、今回ばかりは怒りの念が押さえられなかったことを告白しておく。
 それはさておき、他氏の諸論は大いに充実している。多くの分野の人が集まって、祇園祭りの芸能に対して、本格的にまた多角的に取り組んだという点で、うれしい書物なのである。

 まず目次を示すと第一部が「羯鼓稚児舞の系譜」で、
 植木行宣 山鉾を囃す稚児舞
 北島恵介 山名神社天王祭のオマイ−地域の伝承から−
 入江宣子 動物風流とつく舞−舞台・芸態・音楽−
 福原敏男 美濃御嵩の願興寺祭礼
 宮本圭造 「だんじり」遡源−祇園の会にも「たんちり」ぞ舞う

 第二部が 「シャギリの展開」で、
 藤田隆則 能と狂言における下り羽・渡り拍子・囃子物・シャギリ
         −登場から退場への構造−
 土居郁雄 歌舞伎囃子におけるシャギリの諸相
 伊野義博 村上大祭のしゃぎり
 竹下英二 二本松における「しゃぎり」
 橋本 章 近江湖北のシャギリ文化に関する一考察
         −長浜曳山祭のシャギリの成立とその後の展開−

 第三部が「画像資料の諸相と〈祇園囃子〉」で、
 安達啓子 洛中洛外図の系譜と展開−附・洛中洛外図屏風と祇園祭礼場面小考−
 八反裕太郎 祇園祭礼図の系譜と特質
 植木行宣 図像にみる祇園祭山鉾とその変遷
 田井竜一 画像資料にきく「祇園囃子」

 冒頭の「総論」に前述の田井氏の総括と、樋口昭氏による「羯鼓稚児舞・獅子舞・しゃぎりにみる旋律および拍節構造」があるという構成である。

 内容が大部で多岐にわたる故に、全部の紹介はできそうにないので、私が興味を引いた論文のみを取り上げておく。
 まず第一は宮本圭造氏の「だんじり遡源」である。今日では一種の車屋台を指す「だんじり」に注目し、それが本来祇園祭りの鉾に乗る羯鼓稚児の芸能を意味する言葉であったらしいことを証明していく。私など、この芸能の源流について頭を悩ましていた者には目から鱗の推論であり、眼前が開けた思いがする。
 第二は祇園会に関する絵画資料を整理した安達啓子氏や植木行宣氏の論である。美術史家の立場から祇園祭の絵画資料とその研究に隈無く目配りした安達氏の論は、我々を含めてこれからの研究の基礎となるものであり、植木氏の論は、祇園祭の絵画によるこれまでの研究方法からさらに一歩も二歩も踏み込んだもので、新天地が開かれた思いがする。江戸時代後期の絵画資料にまで目配りした八反氏の整理にも教えられるところが多いが、問題も散見する。
 鉾に乗る羯鼓稚児については、私も民俗芸能や文献に残された諸国のそれに早くから注目していたが、途中怠けている間にたくさんの事例が加わり、研究が大きく発展している。福原氏の美濃御嵩の報告などがその一例であり、読めば読むほど興味深い内容である。私の二十数年前の主張はそろそろ考え直さねばならないようである。
 シャギリの研究も本書によって大きく進展した。藤田氏の能・狂言のシャギリに関する解説が分かりやすく教えられるところが多いし、土居氏の歌舞伎のシャギリも大いに参考になり面白い。
 他にも入江氏の動物風流についての論などぜひ多くの人に読んでいただきたい論文があり、私自身、最近読んだ民俗芸能の研究書としては、しばらくぶりに興奮を覚えた書物であることを申し添えておく。

 しかし書物の値段が高くなったことは驚くべき事である。確かにコピー全盛時代、個人で購入し架蔵する習慣がなくなっていることは仕方がない。それならしかるべき公共の図書館や施設に購入して貰い、多くの人の目に触れるような手立てを我々の側で構築していかねば民俗芸能研究などマイナーな論文は刊行できなくなる。幸い大学を含めて多くの図書館では、図書の購入希望は受け付けてくれているようである。購入してくれるかどうかは別にして、ぜひこの制度を十二分に活用して、少しでも多くの図書出版ができるような環境を、我々自身が創り出していかねばならない時代になっているようである。因みに本書の発行部数は四百部。それでも多い部類で、一般には三百部程度、それも出版助成を受けての部数なのである。我々の研究が継続されるためには、会員自身の購入が無理なら、せめて公共機関が購入するように働きかけていくべきではないであろうか。特に大学などの教育機関にはぜひ架蔵してもらうべく努力をしたいものである。


詳細 注文へ 戻る