榎森進・小口雅史・澤登寛聡編『北東アジアのなかのアイヌ世界』

評者:若曽根 了太
「法政史学」73(2010.3)

 法政大学国際日本学研究所では、これまで「日本学の総合的研究」プロジェクトを立ち上げ、その中のテーマプロジェクトD「日本の中の異文化」においては、北方文化を中心とした議論が積み重ねられてきた。アイヌ文化を含んだ北方文化に焦点をあてて日本列島を北から眺めることによって、これまでの日本文化論を相対化しようと試みられてきたのである。
 その研究成果は二〇〇七年三月、法政大学国際日本学研究所の報告書『アイヌ文化の成立と変容―交易と交流を中心として―』にまとめられたが、今回、それに大幅に手を加えるかたちで刊行されたのが『エミシ・エゾ・アイヌ−アイヌ文化の成立と変容―交易と交流を中心として 上』、および本書『北東アジアのなかのアイヌ世界−アイヌ文化の成立と変容―交易と交流を中心として 下』である。本書の刊行により、プロジェクトの研究成果を広く一般の人々に問うことができるようになったのである。
 上巻には日本史の古代・中世に相当する時期の北方世界に関する論考が、下巻の本書には、近世に相当する時期のそれが収められている。本書の構成は以下のとおりである。

刊行にあたって                         〈澤登寛聡〉
北東アジアのなかのアイヌ世界―課題と梗概―             〈榎森進〉
第一部 北東アジアの中のアイヌ社会
 蝦夷錦と北のシルクロード             〈中村和之・小田寛貴〉
 東アジアの歴史世界におけるアイヌの役割          〈佐々木史郎〉
 樺太アイヌの木製品における刻印・人面の信仰的意義
―事例と考察―                    〈北原次郎太〉
第二部 北海道アイヌの文化と秩序
 考古学から見たチャシの年代観                〈宇田川洋〉
 タマサイ・ガラス玉に関する型式学的検討           〈関根達人〉
 「ツクナイ」と「起請文」                   〈渡部賢〉
 「ウイマム」と「御目見」にみる ふたつの認識論       〈坂田美奈子〉
  場所請負制下のアイヌ社会―場所における生産と労働―  〈長澤政之〉
 日本近世の蝦夷地シコツ・イシカリ・サルの地域的特質  〈市毛幹幸〉
 法政大学本『蝦夷島奇観』の一について    〈佐々木利和〉
 松浦武四郎の地誌・地図製作とアイヌ民族
―『天塩日誌』を素材として―        〈山田志乃布〉
第三部 本州アイヌと幕藩制
 本州アイヌの考古学的痕跡           〈関根達人〉
 近世前期における弘前藩のアイヌ支配と藩意識
―「御目見」「差上」―「被下」事例の分析から―   〈高橋亜弓〉
 幕府巡見使と本州アイヌ
  ―享保二年巡見使にみる「\」の「差異」化と応接体制―   〈浪川健治〉
 青森県内所在の蝦夷錦について         〈瀧本壽史〉
第四部 蝦夷地の和人と幕藩制
 『新羅之記録』の形成過程に関する一考察   〈新藤透〉
 松前藩主の象徴的基盤と神話・芸能
  ―松前神楽の儀礼構造にみる―  〈川上真理〉
 「蝦夷地之制札」設置方針に関する若干の考察  〈澤登寛聡〉
 天保改革と松前における旅芝居興行
  ―越後の「中村清治」一座を素材として―   〈木村涼〉
 秋田土崎湊と松前蝦夷地との商品流通の実態
  ―近世後期の事例を素材として―   〈塩谷朋子〉
 蝦夷地・和人地・内地をめぐる流通システムとその再編
―幕末期江差を中心として―   〈山田志乃布〉
むすびにかえて―本書刊行に至る経緯― 〈小口雅史〉

 このように、本書は全W部より構成されている。Tにおいては、北東アジアとの関連でアイヌを捉える論考が、Uでは、近世蝦夷地におけるアイヌの文化や社会秩序を考察する論考が収められている。また、Vにおいては、本州青森県に居住したアイヌに関する論考が収められている。そして、最後のWでは、蝦夷地における和人について、それを幕藩体制と関連付けた研究が収められている。全体を通して本書は、アイヌの北方アジアや日本列島との交易や交流のあり方を軸として、アイヌに関する政治・経済・文化などの諸問題を扱う点が特徴的であり、これまで日本史の側からのみ語られることが多かったアイヌ史を、多面的にかつ、より広い視点から位置づけようとするのである。
 では、もう少し具体的に議論に踏み込むために、以下では、各章ごとのそれぞれの論考を紹介しながら、話を進めていきたい。

 Tでは、アイヌを北東アジアの中に位置づけるため、主に中国とサハリンアイヌの交易のあり方から、アイヌ社会の変容過程が議論される。
 清王朝によるサハリンアイヌの編成は、一七三〇年代にほぼ確立された。清は、サハリンアイヌを辺民という組織に編成するとともに、一定の地位とそれに伴う待遇を与えることで、サハリンアイヌ社会を統治したのである。辺民として編成されたサハリンアイヌは、毛皮を清王朝に貢納する義務が生じるとともに、清王朝からは龍袍と呼ばれる清の役人の服が支給されるようになった。この服がいわゆる「蝦夷錦」である。蝦夷錦は、アイヌ史を北東アジア世界の中で位置づけるための題材として注目されている〈中村和之・小田寛貴〉。
 また、清の毛皮朝貢体制は、サハリンのコタンに有力な家の出現を促した。そして、それら家の勢力関係は、関係諸国との間で大きく変容した。すなわち、一九世紀以降、日本と大陸の交易が活発化したことで、両者を最短でつなぐサハリン西海岸を通るルートが重要性を増す。そのため、西海岸側の首長が台頭し、東海岸のそれは没落していくのである〈佐々木史郎〉。
 つまり、毛皮朝貢体制、および、日本列島と大陸の交易事情が、サハリンアイヌの社会秩序に大きな影響を与えていたのである。その影響を受けながら、サハリンアイヌは独自の社会秩序を形成していたといえよう。では文化面においてはどうであったか。
 その点については、サハリンアイヌと蝦夷地アイヌ、ウイルタ・ニヴフにおける木製品の刻印や人面に関する論考が参考になる〈北原次郎太〉。ここでは、ウイルタ・ニヴフからサハリンアイヌに、本来アイヌ民族が好まない具象物(人面や人偶)が流入した際、アイヌはその矛盾を避けようと、人面の機能を残して刻印に置き換えた可能性が示唆されている。刻印は人面としての機能を考慮する必要があるという指摘に基づき、今後研究が深まれば、蝦夷地とサハリンの文化的様相がより明確になるといえよう。

 Uでは、近世における蝦夷地アイヌ社会の文化や秩序の問題が取り上げられる。日本の近世が成立・展開した一七世紀以降、蝦夷地のアイヌ社会に大きな影響を与えたのは、寛永期(一六二四〜一六四三年)に成立した「商場知行制」と、享保・元文期(一七一六〜一七四〇)に成立した「場所請負制」である。それまで比較的自由な形式でのアイヌと和人の交易のあり方は、商場知行制によって松前藩による交易支配に転じ、その後の場所請負制によって和人商人による漁場の経営へと展開していく。両者を通じて、交易関係としてのアイヌと和人の関係性は、和人優位のものへと徐々になっていき、アイヌは和人商人の漁場での下層労働民になっていく。
 このような、自立的な交易活動者主体から雇用労働者主体へと段階的に移り変わるという一般的な蝦夷地アイヌに関する歴史像に対して、それを一定度相対化するような論考が本書では目立つ。
 たとえばこれまで、商場知行制を背景としたシャクシャイン戦争とその終結は、和人優位になるきっかけとして位置づけられてきた。しかし実際は、戦争終結に伴う松前藩とアイヌとの起請文をみると、松前藩が自らの優位性を誇示する文意はなく、あくまでもそれは、戦争前の両者の交易のあり方を改めて見直すためのものだったことがわかる〈渡部賢〉。
 また近年、場所請負制下においてもアイヌが自主的に生産活動にたずさわっていた面があることを示す=「自分稼」を評価する研究がある(1)。本書では、場所請負制の内部にある「場所社会」の構造と自分稼を関連付けて考察されている〈長澤政之〉。そこでは、子(ネ)モロ場所のアイヌが雇い漁業に囲い込まれていく実態が明示されたが、今後、他の場所の事例も含めて、自分稼が場所請負制の全体像の中に位置づけられることが求められている。
 また、アイヌの交易に関して、アイヌ語で交易を意味する「ウイマム」という語が、「経済行為としての交易から支配儀礼への移行」を表象する言葉として歴史学において扱われてきた問題を取り上げる論考もある〈坂田美奈子〉。アイヌにとって「ウイマム」の意味は交易であり、その成立がアイヌと松前の友好関係につながるという含意はあるものの、歴史学での言説=友好から支配への移行を示すという表象は持ちえていない。歴史学の語る言説そのものに、歴史学自身のもつ政治性が存在するのである。
 以上のように、本書における蝦夷地アイヌに関する議論では、一方的に支配されていくアイヌという見方や、その見方を生み出す言説そのものに対して再考を促すような論考が目立つ。その点からすると、蝦夷地アイヌのもつ文化や考え方をアイヌの側から立ち上げて正当に評価することが重要になる。
 たとえば、蝦夷地アイヌ社会の中での地域の位置づけそのものや、アイヌの自己認識の問題をトータルに探り出し、それを地域的特質として考察した論考がある〈市毛幹幸〉。地域に即しながら、アイヌ社会や自己認識をつむぎだしていくこうした作業は、アイヌの主体性を提示していくために有効であろう。
 また、松浦武四郎の『天塩日誌』を素材として、アイヌの人々が持っていた空間認識を探り出した論考も、アイヌの主体性を重視する点では共通する〈山田志乃布〉。武四郎が作成した地図はアイヌ民族の地域認識が反映されているため、その分析を進めていけばアイヌ自身が持つ地域情報を図像化して復元することができるという。
 こうしたアイヌの考え方や生活をより深く理解しようとする研究において、法政大学所蔵『蝦夷島奇観』は非常に有効な史料となりえる。法政大学には二種類の『蝦夷島奇観』があり、それぞれの利用に際しては写本作成の経緯等に留意する必要があるが〈佐々木利和〉、筆者の檍麿がアイヌの人々に接し、彼らの文化や慣習を理解しようと記したこの本は重要な意味を担うのである。
 ただし、こうした記録物には、当時の列島の人々が持つ華夷観念が含まれていることがある。したがってその点を考慮に入れた研究姿勢が求められるとともに、文字資料だけに頼らない議論も必要とされる。つまり、考古学の成果を積極的に取り入れることも重要となるのである。
 たとえば、チャシ遺跡を考古学的に分析すると、それは一六世紀前半から一八世紀中期くらいのものであることがわかる〈宇田川洋〉。そして、チャシ遺跡から出土される交易品の数々は主に、本州製品か本州経由の舶来品であり、交易の背景などを考えるにおいて有効な資料となることが指摘されている。
 また、アイヌの物質文化を特徴づける漆器やガラス玉を形式学的に検討し、その特色と変遷を明らかにすると、和人の蝦夷地への進出が、アイヌのタマサイをより華美にした可能性が見出される〈関根達人〉。アイヌと和人の政治的・経済的関係の変化の過程が考古学の成果によって示されているのである。

 さて、Vにおいては、本州におけるアイヌの実態に迫る論考が収められている。これまでの、アイヌ=津軽海峡以北にのみ居住する民族という一般的理解に対し、近年の歴史学は、現在の青森県の北端部=弘前藩内にアイヌの人々が住んでいたことを明らかにした(2)。その点を踏まえた論考がVに収められている。
 ではまず、本州アイヌの人々は、和人からどう見られ、どういった社会的立場を有していたのだろうか。いいかえれば、弘前藩は、藩内のアイヌをどのように位置づけていたのであろうか。その点については、弘前藩は藩内に居住するアイヌの人々を、一般の和人とは異なる、「朝貢」をすべき民として位置づけていた〈高橋亜弓〉。そして藩主は、領内のアイヌの人々に「御目見」儀礼を強制し、異民族に対する自らの権威を示していたのである。
 また、享保期の巡見使に対する弘前藩による応接体制をとってみても、応接に領内のアイヌを介在させることによって、巡検使の権威と自らの藩の権力の誇示につなげていたことがわかる〈浪川健治〉。本州アイヌの人々は、藩の政治的意図のもとで、一方では異民と位置づけられながらも他方で身分編成されていたことに特徴があったのである。
 つまり、弘前藩領内におけるアイヌの人々は、和人とは差異化されながらも、同時に体制内に編成されていた。滑川氏によると、それが本州アイヌのつながりを強固なものにし、文化的なアイデンティティを共有する集団にさせたという。
 また本書では、本州アイヌの実態をより深く理解するために、本州に残される物質文化への考察もなされた。
 たとえば、青森県内の中近世遺跡から出土した遺物を考古学的に検討すると、海獣猟や熊猟を行っていたというアイヌの習俗が明示された〈関根達人〉。また、本州アイヌの人々が身につけていたガラス玉と蝦夷拵の出土状況を見ると、本州アイヌの人々が滑岡城などの城に出入りしていたことが証明されたのである。
 前述のとおり、考古学的研究は文字資料では明らかにしえない歴史的側面を示し、歴史像に臨場感を与える。そのため、Vには青森県にて確認されている三十三点の蝦夷錦の所蔵先や入手経路、資料の年代などを詳しく紹介した論考があるが〈瀧本壽史〉、こうした成果を十分に参考にし、文字資料とつき合わせながら本州アイヌの実態を明らかにしていくことが重要なのである。

 最後にWであるが、ここでは蝦夷地における和人と幕藩制の問題が議論される。まず俎上に載せたいのは、蝦夷地における幕藩制の統治のあり方や秩序の問題である。
 蝦夷地は、二度の幕領期を経験しているが、第一次の幕領期(寛政十一年(一七九九)〜文政四年(一八二一))における幕府の蝦夷地に対する統治理念の特徴は、それを最低限の幕府の厳格さを表明するにとどめていた点にあるという〈澤登寛聡〉。つまり、幕府は蝦夷地の人々について、和人とは異なる風俗を持つ夷人という認識をもち、それに見合った統治方法を採用していたのである。
 また、松前藩が蝦夷地を統治していた時期においても、幕府の政策は蝦夷地に一程度の効力を有していたことが指摘されている〈木村涼〉。松前に旅芝居興行に赴いていた「中村清治」一座が、天保改革の一環として出された風俗取り締まり政策の影響を多分に受けていたことからそれをうかがい知ることができるのである。
 ところで、そもそも松前藩はどういった性格を持ち合わせているのかといった点についても本書では議論されている。
 たとえば、藩内で実施された松前神楽は、松前の王道を擬制した日本神話、および蠣崎氏の開国の歴史を演じるものである〈川上真理〉。つまり松前神楽は、蝦夷地征服の始原の時間へ回帰させる英雄神話としての性格を有し、そこで表象される歴史こそが、松前氏の王権の基盤であったことが指摘されており、興味深い。
 また、松前藩の歴史を検討する際に重要な史料として位置づけられてきた、藩で最初の史書『新羅之記録』の成立過程も本書では明示された〈新藤透〉。この成果をもとに、当史料を歴史学研究にどのように活かしていくかが、今後の課題となるであろう。
 松前藩と本州の交易ネットワークの問題にも焦点が当てられている。たとえば、秋田藩土崎湊が松前・蝦夷地との間でどういった品物のやり取りがあったのかが具体的に考察され、土崎―松前の交流の一面が解明された〈塩屋朋子〉。
 また、幕末期江差における北前船商人や江差問屋、漁民の動向を分析することで、蝦夷地・和人地・内地をめぐる流通システムの再編過程も提示された〈山田志乃布〉。流通システムの再編は、確かに権力側による流通拠点前進の動きを画期とするものではありつつも、着目すべきは流通を担う人々や輸送手段であり、その点に比重をおけば、流通システムの考察から権力側の動きの再検討へとつなげることができるという。
 これら交易ネットワークの論考に共通しているのは、あくまでもシステムを担う地域や人々の実態から議論を組み立てるという視点である。近年、蝦夷地で取れる産物に関して、日本列島や琉球、中国を結ぶ流通システムが確立されていたことが明らかにされており(3)、こうした研究成果とリンクさせるためにも、流通システムを担う地域の実態を明示した本書の諸研究は重要である。

 以上、各章ごとにそれぞれの論考を紹介したが、ここで全体の感想をまずは記しておきたい。
 本書は、近世におけるアイヌの社会や文化の問題を、交易を軸として、北方アジアや本州との関係において考察した。交易の問題を軸としつつ、それを単なる交易史にとどめることなく、政治・経済・文化などに関連させて幅広く論じられているため、アイヌは自然と共生する原始的な社会に生き、その後次第に和人の蝦夷地への介入にともなって自立性を失っていくといった従来の静的で一方的な歴史像では把握しきれない、アイヌの動的で多面的な歴史像が提示されていると感じる。本書は一見、各論考の関連性が不明確であったり、扱う対象時期に大きな開きがあったりして、ともすればバラバラな印象を受けてしまうが、それはアイヌの歴史のもつ多様性を示すために致し方ないといえよう。本書の実証的な各研究によって、アイヌは北方アジア世界の中でダイナミックに展開し、独自の秩序を形成してきたことが示されたのである。
 ただ、広い視点からアイヌ社会を眺めるという意義深い研究であるがゆえに残念と感じた点は、各論考の扱う地域すべてを網羅した地図が掲載されていないことである。基本的なことではあるが、せっかく一般の人々に容易に手に入りやすくなり、なおかつ、これまでとは異なる広い視野から捉えたアイヌの新たな歴史像を提供しようという意欲を持っているからには、読者に対して視覚的な理解を助ける配慮が欲しかったように思う。
 とはいうものの、全体を通して本書は非常に読み応えがあり、新たなアイヌ史研究に大きく貢献するものであろうと感じた。

 さて以下では、本書が交易や交流の視点からアイヌ社会を北方アジアに位置づけるという目的をもつことを鑑みて、評者はアジア史研究の立場から若干のコメントを述べさせていただきたい。
 近年、アジア史研究において大きな発展を遂げているのが海域アジア史研究の分野である(4)。そこでは、海を舞台とした貿易や海賊などに関する歴史のみならず、海に関連する陸同士の交流や相互作用など総合的な歴史像が問題とされる。海域に軸足を置いて、それに関わる諸地域を総合的に捉えるという研究スタイルをもつのである。それは、「中央アジア」や「東アジア」、「東南アジア」などといった既存の陸のまとまりや、そこで想起される歴史認識を相対化することを可能とする。
 また、桃木至朗氏によると、海域アジア史研究には@一国史観の乗り越えと世界を歴史的に把握する構想力の強化、Aアジア社会停滞論の打破と近代知の転換、Bある歴史的事象や時代について日本や他地域双方向の視点から考察をすることの可能性、C閉じた枠組みの中において中心から語られる歴史像の転換、といったポテンシャルがあり、新たな歴史学研究とアジア認識の形成に大きく貢献できることが期待されている(5)。
 つまり、海域アジア史研究は、海を拠点として関連する地域を眺めるという研究方法を採用することによって、これまでのような一国史観を超えるとともに、国という単位の中で周縁と扱われてきた地域の不当な評価を脱することとを可能とするのである。
 そして、海域アジア史における方法論は、本書で扱うアイヌ地域についても十分に適用することができるのではなかろうか。なぜならば、アイヌ社会は、太平洋と日本海、オホーツク海に囲まれた地域であり、それらの海を通じて、他地域・他国家と密接な関係性を持っていたことは、本書によって示されるとおりである。本書では、海域を同じくする諸国家との関係性を前提として、政治・経済・文化それぞれの面において影響を受けながら、独自の秩序を作り上げていったアイヌ像が提示されているのである。
 そこで、その成果を基礎として、今後、海域アジア史の立場から研究の深化が求められるのは、アイヌ社会を取り囲む三つの海を通じて関連しあう諸地域との総合的な研究ではなかろうか。
 本書では、他地域からの影響を受けながらアイヌが独自の社会や文化を形成したことは明示しえたが、逆にアイヌ社会が他地域に与えた影響の問題については正面から論じられていない。それでは、せっかくアイヌ社会を北方アジアの中に位置づけた意義が半減してしまう。アイヌ史をより正確に把握するために北方アジアを視点とするだけでなく、北方アジア史を理解するためにアイヌが視点とされなければならない。アイヌ史のための北方アジア史であると同時に、北方アジア史のためのアイヌ史でなくてはならないのである。
 そのためには、蝦夷地を取り囲む海に関連する中国やロシアなどの歴史学研究に、本書の成果が取り入れられること、そしてそこから生み出される成果も、アイヌ史の側が積極的に取り入れるという相互的、かつ総合的な研究姿勢が求められる。よって海域を通じて関わりあう地域の歴史研究者との積極的な交流が重要性を増すのである(6)。

 では、本書で扱われたアイヌの問題を、海域アジア史の視点から深化させていくことで何が展望しえるか。それは、新たな世界史像を提出しようとする近年の歴史学に大きく貢献する可能性を持つということではなかろうか。
 ブローデルの研究(7)以降、「近世」に関する議論が活発化し、発展史観が有効な歴史の把握方法にならなくなった現在においては、「近世」は国家や地域のもつ特徴によって定義される概念ではなく、単なる時期区分としての概念に変わった(8)。その中で、世界史上の「近世」における共時性に目を向けると、そこには近代化において超克されるべき対象となる「伝統」社会の形成が存在する(9)。
 そのことは、本書で扱われた時期のアイヌ社会、あるいはその海域に関わる諸地域も同様である。たとえば本書で扱われたアイヌの主体性を示す「自分稼」の問題ひとつとってみても、それが近代化の過程における明治初期の漁業権や狩猟権の禁止へとつながる要因となる行為であることがわかる。本書で示されるアイヌ社会像はダイナミックだが、逆に言えばそこには近代化の過程で問題視され克服するべき事柄が多く含まれているのである。
 そこで、地域史と世界史を連関させて考える際、「近世」の概念は有用性をもつというアンソニー・リードの指摘(10)を基礎として、海域アジア史的視点から捉えたアイヌ周辺の海域史を、世界史の「近世」のなかに積極的に位置づけ、世界史との連関で議論することが重要ではないだろうか。そうすれば、同じく世界史的な連関を重視する「近代世界システム論(11)」、およびそれをアジアの側から批判する海域アジア史研究という研究動向にあわせた議論を可能とし、新しいグローバル・ヒストリーの構築に貢献できるのである(12)。これまで正当に世界史の議論に組み込まれてこなかったアジアの歴史的役割を再評価し、積極的に議論に組み込む新たなグローバル・ヒストリーに、本書で扱われたアイヌの海域史が結び付けられれば、学術的に大いなる意義を持つといえよう。
 ブローデルの影響を受けて記されたアンソニー・リードの東南アジア史研究(13)は、これまで無視されがちであった東南アジアを世界史の表舞台に引っ張り出すとともに、その地域の世界史上で担う重要性を再認識させた。本書で扱われたアイヌの問題も、今後、海域アジア史的視点から研究が深められることによって、世界史のなかに位置づけられる可能性を大いに持っているのではなかろうか。そうした点からすると、本書はアイヌの歴史像を広い視野から動態的に捉えた意義深い書物であるとともに、今後の世界史研究にも有用な視点を提供する可能性を秘めている。


(1) 谷本晃久「アイヌの自分稼」(菊池勇夫編『蝦夷島と北方世界』吉川弘文館・二〇〇三年)
(2)浪川健治『近世日本と北方社会』三省堂・一九九二年
(3) 中西聡『近世・近代日本の市場構造−「松前鯡」肥料取引の研究』(東京大学出版会・一九九八年)、田島佳也「北の海に向かった紀州商人」(網野善彦『日本海と北国文化−海と列島文化1』小学館・一九九〇年)などを参照のこと。
 また、琉球や蝦夷地は近世の政治・経済的な動向を背景とした生産構造に組み込まれながらも、東アジアの流通システムの観点から眺めると地域は有機的に関連しあい、重要な意味を担っていたという視点(荒武賢一朗「大坂市場と琉球・松前物」(菊池勇夫・真栄平房昭編『列島史の南と北 近世地域史フォーラム一』吉川弘文館・二〇〇六年)は、これまで周縁とされてきた同地域の位置づけを再考させる示唆に富んだものである。
(4) 海域アジア史の研究動向に関しては、桃木至朗編『海域アジア史研究入門』(岩波書店・二〇〇八年)が詳しい。
(5) 同註4
(6) ただし、こうした研究交流には、言語の壁や、分野ごとの共通認識、および視点のズレといった乗り越えるべき問題もある。しかし、本書で扱われたアイヌとかかわりの探い清朝の東北史の問題を精力的に扱い、アムール地方の生活者の歴史や交流の実態を、政治・経済・社会の各方面から総合的に研究した松浦茂『清朝のアムール政策と少数民族』(京都大学学術出版会・二〇〇六年)といった成果などもあり、今後交流・議論を深めていくことが重要である。
(7) フエルナン・ブローデル『地中海』全五巻、浜名優美訳・藤原書店・一九九一−一九九五年
(8) 岸本美緒「時代区分論の現在」(歴史学研究会編『現代歴史学の成果と課題1980-2000年 T 歴史学における方法的転回』青木書店・二〇〇二年)
(9)岸本美緒「東アジア・東南アジア伝統社会の形成」(『岩波講座世界歴史13』岩波書店・一九九八年)
(10) Reid,Anthony.1993.Southeast Asia in the Ear1y Modern Era:Trade,Power,and Belief. Ithaca NY:Cornell University Press.
(11)I.ウォーラーステイン『近代世界システム』T・U.川北稔訳、岩波書店・一九八一年
(12) A・Gフランクは、近世アジアにおける、交易の歴史を分析することによって、アジアの経済システムを提示し、ウォーラーステインの「近代世界システム論」の根底にある西洋中心史観を批判した。(A・Gフランク『リオリエント』、山下範久訳・藤原書店・二〇〇〇年)
 なお、フランクの議論を深化させ、世界史におけるアジアの位置づけをめぐる研究を進めているものに川勝平太編『グローバル・ヒストリーに向けて』(藤原書店・二〇〇二年)などがある。
(13) リードは、東南アジアを一つの世界としてとらえ、大航海時代の交易ネットワークを分析した。そこでは、国際交易においての東南アジア世界の重要性、およびその中でのヨーロッパの国々が一参加者にしか過ぎなかった点を提示した。海域史の視点から、東南アジア世界を捉え、西洋中心史観を批判したのである。(Reid,Anthony.1988;1993.Southeast Asia in Age of Commerce 1450-1680.Vol.l:The Lands below the Winds.Vol.2:Expansion and Crisis.New Haven and London:Yale University Press.)


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