峰岸純夫著『中世荘園公領制と流通』

評者:石橋一展
「歴史評論」720(2010.4)

   はじめに

 本書は中世東国史研究の第一人者である峰岸純夫氏が折に触れ言及・考察されてきた、土地制度史に関する著書である。その主なものは表題の通り荘園公領制とそれに関わる経済史、社会史であるが、都市論、流通史、網野善彦論など、氏の長年の研究史の一到達点であると評価できる。
ひとまず、その内容を以下に掲げる。

 序 荘園公領制と流通
第一部 水運と銭貨流通
 一 中世東国水運史研究の現状と問題点
 二 荘園公領制と流通−船と銭と陶磁器
 三 戦国期東国における銭貨の流通と贈答−『長楽寺永禄日記』にみる
 四 戦国時代武蔵品川における町人と百姓
第二部 荘園公領制の展開
 五 年貢・公事と有徳銭
 六 一五世紀後半の土地制度
 七 一五世紀東国における公家領荘園の崩壊−上野国利根荘の場合
第三部 網野善彦説の批判的継承
 八 網野善彦『無縁・公界・楽』によせて
 九 中世史研究は変わったか−網野学説の批判的継承

 次に各論の骨子に触れ、その上で本書の論点について述べていきたい。

   一 本書の内容と問題関心

 第一部第一章「中世東国水運史研究の現状」は七○年代初頭から九○年代における東国水運研究の歴史を綴ったものである。東国の大河川である旧利根川・江戸川水系を中心に言及し、近年研究がさかんな「江戸湾」などの内海論にも触れている。
 第二章の「荘園公領制と流通」は荘園公領制の発展に伴う銭や陶磁器流通に主点が置かれ、考古学の成果と有機的に結びつかせながら、その流通範囲と実情を考察した。さらに、近世の菱垣廻船の航行データや韓国船の研究を用い、その構造・積荷や重りの関係を描き出そうとしている。中世の史料の少なさを如何に補うか、広い視点を持つことの重要性を改めて感じた。
 第三章「戦国時代における銭貨の流通と贈答」は、『長楽寺永禄日記』の講読をもとに、そこに描かれた悪銭相論を巡り、当時における永楽銭の評価と価値に迫るものである。また、当時の悪銭の混入→相論に至る背景が、後北条氏の貨幣政策の影響であることを強調している。さらに、贈答の際に使われる銭の隠語についても紹介されており、興味を引く。
 第四章「戦国時代品川における町人と百姓」では東国では比較的史料が豊富である「都市的な場」品川における「町人」「百姓」「散田衆」らの相克を都市論の視点から考察したものである。

 第二部第五章「年貢・公事と有徳銭」は、荘園公領制下での百姓の負担形態を、加地子、年貢、公事などの項目に分けて考察したものである。後半では、有徳銭負担が形成される過程についても述べられている。年貢で結ばれる支配体制との関係の中で、領主自体は遷替するも、私領自体は推持されることを指摘し、荘園公領制は、「私領をもとに形成された地主−作人関係(地主的土地所有)によって支えられていた」とする。荘園公領制形成の前提として、私領を重視する筆者の荘園公領制理解を知ることができる。
 第六章「一五世紀後半の土地制度」では、戦国期に移り行く中で荘園公領制の変化を、灌漑や生産形態などの問題、「職の体系」の変容による借耕関係の成立とそれに伴う土豪・地主の土地経営の実態の考察から、大名領国制へと繋げる試みをしている。
 第七章「一五世紀東国における公家領荘園制の崩壊」では、上野利根荘の立荘から室町後期までの流れを追いつつ、万里小路家の代官請負とその挫折を在地との関係から考察したものである。荘園公領制の成立・展開事例の少ない東国においては、貴重な研究事例であろう。

 第三部第八章「網野善彦『無縁・公界・楽』によせて」は、網野氏同書への書評である。「無縁」と「公界」の差異、「無縁の論理」の正当性を寺院の制札や金融論などから述べた。
 第九章「中世史研究は変わったか」は、前章同様、網野史論に対する批判的継承を中心とする論考である。特に網野史学の基底を成した「百姓=非農民」論や天皇制についての再考察が中心となっている。

   二 本書の意義

 本書の重要な視角は、@荘園公領制論の深化、A(@との関連もあるが)網野史学の評価であると考える。よってこの二点に論点を絞って考察していきたい。
まずは本書の意義について述べたい。

 第一は荘園公領別の周縁(主に流通)に目を向けたことである。特に水運の問題は今日も大きな研究課題の一つとなり、その意義は大きい。相模湾・伊豆諸島や涸沼といったどうしても見落としがちな研究史にもしっかりと光が当てられている。また、目を引くのは明応七年の地震とそれに伴う太平洋海運の変容が東国史と結び付けられていることで、これらの海運「断絶状況」が、次代の戦国大名の領海確保に影響しているとする。本論でも触れた「内海」の議論は、後に広まりを見せ、佐藤博信『江戸湾をめぐる中世』、鈴木哲雄『中世関東の内海世界』、市村高男監修『中世東国の内海世界』など(1)が出され、さらに研究は隆盛を極めている。これら最新の成果の研究史的前提を整理したものとして評価されるべきであろう。

 第二には、荘園公領制論の高まりを受け、その裾野を広げたことである。荘園公領制は、一二世紀以降の領域型荘園を論じる上で重要であり、現在もそれは生きている。この言葉は教科書にも登場し、近年ある私立高校講師採用試験には、模擬授業の課題に「荘園公領制をどのように教えるか」が出題された例もある。もはや一般的な歴史用語としての地位を得たといってよい。もちろん本書において、荘園公領別について述べられた諸論文は、発表から時間が経ってはいるが、荘園公領制論がどのように受容され、展開していったのかを見る重要な視角を与えてくれる。特に第二部には私領の経営・地主的土地所有・公事、そして生産形態の発展と「職」の問題と、荘園公領制の成立の前提と内実を追った研究が並ぶ。さらに、当時の自然条件にも着目し(2)藤原氏らの私領経営の不振や立荘の挫折、または自作農の転落との関係を強調した。

 第三に、東国史への寄与も忘れてはならない。荘園関係の史料が希少である東国において、利根荘の事例を挙げて代官請負と荘園公領別の綻びを論じたほか、氏が長年取り組んできた『長楽寺永禄日記』から悪銭相論を素材に、当時の「悪銭」に関する社会的位置、上野の由良氏を核とした在地の動向など、実に興味深い一面が提示されている。また、第四章の品川への視座も、中世東国における都市論としては早い段階のものであり、その後の都市品川の研究や東国における各地域の「都市的な場」の研究(3)に発展していく基礎をなしたものと評価できよう。

 第四は網野史学の批判的継承である。第三部では網野善彦氏に関する二本の論文を収録する。網野氏の逝去後様々な場所でその評価を巡って議論がなされたが、峰岸氏もここで無縁や百姓=非農業民の議論への批判を行っている。これらは特に文献史学の分野から多々批判を受けており、今後峰岸氏のような詳細な検討は必要不可欠である。

   三 本書の論点

 次に本書の論点・疑問点について考えてみたい。
 第一には、荘園公領制論への評価の問題である。氏は網野氏の理解を基本的には引きついでおり、「年貢・公事と有徳銭」では網野氏や五味文彦氏の論(4)が「本稿の前提となっている」としている。ただ、当時とはいえこれらを無批判に継承してよかったのであろうか。例えば、荘園公領制の成立段階について、三者とも一一〜一二世紀ということで一致しているが、網野氏は長久および寛徳の荘園整理令を荘園公領制成立の画期としている(5)。一方、峰岸氏は藤原清廉・実遠親子の所領経営を長久段階から論じているが、荘園整理令等、制度上の問題との関わりは論じられていない。網野氏自身も前述の荘園整理令と荘園公領制の問題について明確に示していないが、自然条件の悪化−生産力の向上の中で私領経営が盛んに行われ、葛藤の中で荘園公領制が展開した、とする峰岸氏の論の中では、これら制度論が若干なりとも加わっていればさらに説得的であったと思う。さらに、この荘園公領制には、その後の研究(6)で様々な論点が提示されている。また、室町期の荘園制に対する評価も変わってきた。先に述べたように本書第二部の荘園公領制に関する論文群は世に出てから時間がたっているので、現在の研究動向と齟齬があるのは当然のことであるが、これに関しては峰岸氏も近年は別の著書(7)で「公領も郷も古代の編戸の郷そのものではなく、荘園制の成立に伴って再編された郡郷である」ので、「荘園と公領の区別は重要なのではないか」とコメントするに止まっている。

 荘園公領制に関連して、もう一点論点を挙げれば、流通との問題である。先に述べた様に、本書が荘園公領制の議論と流通を有機的に結びつけようとしたことは、非常に意義深いことであったと考える。ただ、著者自身も「結び付けようと努力した」と述べているように、この二つの議論を結びつけることは現時点ではなかなか難しいことであると感じた。たとえば、第一部第二章「荘園公領制と流通」でも、基本的には米や陶磁器の流通論がその中心を形作っており、荘園はその前提=「権門都市市場圏」として出てはくるが、その具体的解明までは至っていないように感じた。

   おわりに

 以上、本書について、評者なりの論点を提示させていただいた。本来評者は、荘園研究に関しては門外漢であり、批評というよりは、紹介に終始してしまった。本書に対して見当はずれの批判をしたり、本書の魅力を十分にお伝えできたりしていないのではないかと危倶する。ご海容いただければさいわいである。ただ、本書は、荘園公領制の研究史上重要なものであり、荘園史・東国史の研究者だけでなく、中世史を研究する者には必読な書であることは改めて申し述べておく。

(l)佐藤博信『江戸湾をめぐる中世』(思文閣出版、二〇〇〇年)、鈴木哲雄『中世関東の内海世界』(岩田書院、二〇〇五年)、市村高男監修・茨城県立歴史館編『中世東国の内海世界』(高志書院、二〇〇七年)。また、水運史という点では、綿貫友子『中世東国の太平洋海運』(東京大学出版会、一九九八年)も重要であろう。
(2)これらは峰岸純夫『中世災害・戦乱の社会史』(吉川弘文館、二〇〇一年)が起点となっていよう。
(3)品川については、柘植信行「都市形成と儀礼域の変容」(地方史研究協議会編『都市周辺の地方史』雄山閣、一九九○年)、同「中世品川の信仰空間」(『品川歴史館紀要』第六号、一九九一年)、佐藤博信「武蔵品川をめぐる房総諸勢力の動向」(佐藤氏前掲書、初出一九九一年)、同「武蔵品川における鳥海氏の動向」(佐藤氏前掲書、初出一九九八年)。「都市的な場」については、湯浅治久「中世東国の「都市的な場」と宗教」(『中世東国の地域社会史』岩田書院、二〇〇五年、初出一九九五年)。
(4)網野善彦「荘園公領制の形成と構造」(『網野善彦著作集』第三巻、二〇〇八年、初出一九七三年)、五味文彦「荘園公領制の再生産構造」(『日本経済史を学ぶ』上、有斐閣、一九八二年)。
(5)網野善彦「中世土地制度史の研究序章」(『網野善彦著作集』第三巻、二〇〇八年、初出一九九一年)。
(6)川端新『荘園制成立史の研究』(思文閣出版、二〇〇〇年)、高橋一樹『中世荘園制と鎌倉幕府』(塙書房、二〇〇五年)。
(7)峰岸純夫「序言」(『中世東国の荘園公領と宗教』吉川弘文館、二〇〇六年)。

(いしばし かずひろ)


詳細 注文へ 戻る