峰岸純夫著『中世荘園公領制と流通』

評者:盛本 昌広
「日本歴史」744(2010.5)

 著者は幅広い分野の研究を行なっていることで知られるが、本書はその中で荘 園公領制や流通、網野善彦の所論に関する論考を集めたものである。内容は三部 から構成され、第一部「水運と銭貨流通」、第二部「荘園公領制の展開」、第三 部「網野善彦説の批判的継承」となっている。以下で各論文の内容紹介と若干の コメントを行なうが、紙数の関係で一部の論点についてのみ触れることにしたい 。

 第一部は四つの論考からなる。
 「一 中世東国水運史研究の現状と問題点」は近年盛んに行なわれている東国 における水運に関する研究史整理、利根川東遷以前の水運、明応七年(一四九八 )東海大地震と太平洋水運を扱っている。研究史整理は直接的に水運をテーマと していないものも含めて、多様な論考を紹介しているが、これらの研究は本論が 執筆された一九九五年以前のものであり、その後も水運に関する論考は数多く発 表されているので、それに関するフォローがあれば、最新の研究状況が把握でき 、今後の研究により役立ったと思われる。また、本論では主として地域別に整理 をしているが、水運研究には様々なアプローチや研究視角があり、そうした面か らの整理もあったならば、今後いかなる切り口によって水運研究を行なうべきな のかを考える指針になったのではないだろうか。
 「利根川東遷以前の水運」は従来から問題とされている利根川水系と常陸川水 系の接続の有無を扱ったもので、水路と陸路が併用されていたことを主張してい る。この問題については現在も見解が分かれており、よりいっそうの研究が必要 である。また、明応七年の東海大地震が太平洋水運に与えた影響を論じた部分は 著者による災害や気候への関心の一環をなすものである。災害や気候を分析視角 に取り入れることは重要であるが、すべてをそれに還元することにも問題がある 。明応地震に関しても、様相が従来と一変したとする断絶説に関してすでに批判 が寄せられている。本論でも断絶を強調しているが、大永・享禄年間に書かれた 『宗長日記』を見ても、三河・尾張・伊勢間の水運は盛んであり、水運が衰退し ていーる様子は窺えない。災害や気候にょる被害が大きいのは事実であるが、当 然ながら復興が行なわれるのであり、復興が新たな需要や流通を喚起するとも考 えられる。
 「二 荘露公領制と流通」は保全のために銭を埋蔵した史料を紹介し、呪術的 な目的により埋められたとする埋納銭説を批判している。現在も両説は激しく対 立しており、今後も著者などによる研究が期待される。また、船の安定確保のた めのバラストとして、銭や陶磁器が輸送されていたとの想定を述べている。船の 積荷の内容、行きと帰りの積荷の違いなどは重要な問題であり、流通の問題とも 絡めて追究されるべきテーマである。
 「三 戦国時代東国における銭貨の流通と贈答」は『長楽寺永禄日記』によっ て、撰銭の問題、贈答に使われた銭の禅宗特有の名称に関して述べたものである 。従来から撰銭についての議論がなされてきたが、本論では著者が以前に示した 見解を中島圭一氏が批判したことに対し、自説を補強して永楽銭を含む精銭取引 が行なわれたと主張している。近年、撰銭など貨幣流通に関する議論は盛んであ り、東国における永楽銭の精銭化や中国からの銭の流入状況といった論点も出さ れているので、この事例を含めて撰銭の問題はさらに追究すべき課題である。
 また、同論文では今泉淑夫氏の研究にょって、日記に見える銭の異名を分析し ている。日記に見える銭の頻繁な贈答が金融と密接な関係にある禅宗寺院の性格 によるものなのか、あるいは寺院一般に見られることなのか、さらには銭の金額 の使い分けなど、様々な疑問が湧いてくる。ともあれ、この日記は銭をめぐる問 題を考える上でも貴重な記述であり、本論はその基礎となるものである。
 「四 戦国時代武蔵品川における町人と百姓」は戦国時代の品川に関する史料 に検討を加え、町人地と百姓地の区分の存在、欠落や人返し、大名や代官への闘 争を明らかにしたものである。品川は関東の都市の中で、比較的史料が豊富なた め、従来から様々な論及がなされてきた。本論文もその一つであり、今後展開す べき多様な論点が含まれている。  

 第二部は三つの論考からなる。
 「五 年貢・公事と有徳銭」は年貢・公事、加地子の成立と実態、有徳銭の賦 課に考察を加えたものである。年貢・公事に関しては、本論文が『日本の社会史 』(岩波書店、一九八六年)の論考である点からすれば、本来は年貢・公事の本 質的な意味について言及すべきであったと思われる。有徳銭に関しても同様であ り、有徳の社会的意味、有徳銭が賦課された論理を追究することで、中世の社会 的慣習や観念が明らかになつたのではないだろうか。
 「六 十五世紀後半の土地制度」は生産力の発展により農民層が分解し、富を 得た土豪層が成長したこと、職の分化による加地子名主職や作職の成立、職の集 積による土豪・国人・寺社の地主化などについて述べたものである。本論文は地 主論や農業生産力の発展など当時の研究状況に対応して書かれたものであるが、 多様な論点がよく整理してまとめられている。なお、付記では災害により中小農 民が没落し、土豪層の地主化が進展したと本論の基本的な枠組みを訂正している 。近年、中世における災害や気候の悪化などの要因により、生産力の進展に疑義 を示す論考も多いが、こうした理解に関しては今後も十分な検討が必要であろう 。
 「七 十五世紀東国における公家領荘園の崩壊」は上野国利根荘の代官請負の 実態を明らかにしたものである。

 第三部は二つの論考からなる。
 「八 網野善彦『無縁・公界・楽』によせて」は中世史のみならず様々な分野 に衝撃・影響を与えた同書に関して、網野氏が提示した史料に改めて検討を加え て、批判したものである。その論点は多岐に及ぶが、無縁・公界・楽の意味を史 料の厳密な解釈により位置づけるのは必要な作業であり、本論における姿勢は継 承すべきである。
 「九 中世史研究は変わったか−網野学説の批判的継承−」は網野氏の死後に 網野学説の意義とそれに対する批判を述べたものである。著者自身は網野氏とつ き合いが深く、直接疑問をぶつけたこともあるが、そうした疑問や批判を踏まえ た上で、いかにして継承するかが模索されている。この点は中世史研究全体の課 題であり、網野氏の提示した枠組みを発展させていくことが求められていると思 われる。本書の題名である「荘園公領制」も網野氏の提唱した概念であり、著者 による批判的継承の意図が表現されていると言えよう。
(もりもと・まさひろ)


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