高梨一美著『沖縄の「かみんちゅ」たち』

評者:鈴木正崇
「民俗芸能研究」47(2009.9)

 本書は、二〇〇五年(平成一七)九月一九日に亡くなった著者の論文集である。主題は沖縄の「かみんちゅ」(神女)と呼ばれる女性祭司の実態と心性の解明で、緻密な文献研究とフィ−ルドワークを相互照射する形で論旨を展開しており、厚みのある研究になっている。一読してみて、学問に対して真摯な態度を貫いた著者の姿勢に強い印象を受け、使命感に駆られるかのように書いた個々の論文の質が高いことに改めて感嘆した。追求する主題を絞り、まっしぐらに邁進して得た成果は、五一歳という生涯の中で完結しているようにも見える。その原動力はフィールドでの対話や体験にあり、女性を主体とする南島での同性同士の聞書きの利点を十分に踏まえた著作であると言える。充実した内容で読み応えがあり、生前に刊行されて、多くの人の目に触れることがなかったのが惜しまれる。
 本書の構成は大きく二分され、Tの「民俗社会のなかの祭司」では、かつての女性祭司組織を変容させながら継承しているノロを初めとする村の女性祭司たちの実態を著者の民俗調査をもとに考察している。Uは「沖縄の女性祭司の世界」で、二〇〇二年に東横学園女子短期大学女性文化研究所から刊行された、著者の生前唯一の著作を再録した。

●民俗社会のなかの祭司  
  前半部にあたるTに収録された論文の概要は以下の通りである。

 「琉球王国の祭司組織の基礎的研究−三平等の大あむしられを中心に−」では、沖縄の女性祭司のノロが共同体の要請で生産に関わる祭祀を行なう村落の祭司であると共に、国王のために祈る王国の祭司でもあるという二重性を持つことを踏まえて、歴史的な検討を行なう。特に、『女官御双紙』(一七〇六)の記載に基いて、祭祀組織の要であった首里の三平等(ミヒラ)の大あむしられを中心に考察し、地方祭司や聞得大君との関係、祭司組織の基本構造などを考察する。大あむしられは王都と地方の仲介を果たすが、『女官御双紙』の時代は過渡期の姿を伝えており、それ以後は大きく変貌したという。祭司の関係で重要なのは、相互の言葉の伝達と、人と人との交流で、これを通じて王府の近世化と民俗宗教に根ざす祭司のせめぎ合いを描き出す。

 「沖縄の女性祭司と神名伝承」は、女性祭司のノロ、ニーガン(根神)、ウッチガミ(掟神)などの職名とは別に内密に受け継いでいるカミナー(神名)に注目して、儀礼と知識の継承について考える。神名は神霊と祭司を系譜で結合して正当化する機能を果たすという。祭司の就任儀礼では神名の継承が重要な要件で、神霊の憑依で付与される。御嶽の神名を授かる場合があり、祭司職と共に神名を代々継承する事例も明らかにした。次いで文献史料の中の神名を検討して、神霊と祭司を繋ぐ重要な観念の一つと考え、世襲と憑霊は矛盾なく並存していたとする。最後に聞得大君の神名を取り上げ、神降儀礼の崩壊と共に消滅した経緯を述べる。一方、村落では儀礼が根強く残り、神名もその中で維持されてきたと指摘する。

 「古琉球の女性祭司の活動−一六世紀の史料を中心に−」は国家形成期から統一王権の成立・発展期の「古琉球」の祭司のあり方を検討する。一二世紀頃から薩摩侵攻(一六〇九年)までの五〇〇年の古琉球の時代には、女性祭司の活動が王権と結合して歴史の表面に表れていた。この時代の女性の祭司活動の実態を知るために、一六世紀の文献を読み解いて連続性を明らかにしていく一方で、持続性を持つ現代の民俗宗教の観点から遡及して見直すことで、宗教的職能者の基本的性質を明らかにする。祭司の基礎的な性格、成巫過程、儀礼の特徴と目的、神降儀礼の実態を文献上で考察し、基盤には憑霊信仰(シャーマニズム)がある一方、近世の大きな変革によって神降儀礼が変質してきた過程を検討する。古琉球の祭司の活動と儀礼の根底にあった憑霊信仰の一部は近代の祭司に受け継がれているとして、沖縄の宗教文化の原型を古琉球に求める趣旨である。

 「航海の守護−琉球王国の祭司制度の一側面−」は、琉球王国の祭司制度研究の一環として聞得大君を頂点とする祭司のネットワークが航海の守護にどのように取り組んだかを、近世の実態に即して考察している。貿易国家の性格を持つ琉球王国にとって航海の安全が切実な願いであり、それに対応して女性祭司の祈願が重要であった状況を述べる。最初に嘉慶二四年(一八一九)の漂流記録を検討して、様々な外来の航海守護神と地域独自の信仰の重層と混淆の実態を示す。次に琉球独自の女性祭司と航海守護について、「三平等の御願」で王国の中核の聞得大君と大あむしられが拝む・拝まれる関係にあること、各地域の祭司は史料とオモロから航海の祈願に関与したことを明らかにし、『女官御双紙』などに基づき祭司の霊威への信頼の高さを示す。古琉球から近世社会に移行する尚豊王代(一六二一〜四〇)に、「君手擦り」や「毛祓へ」といった神降儀礼が廃絶し、康煕年間の初めに「君々」が削減され、国王と聞得大君による農耕儀礼の「みしきょま」が向象賢(一六一七〜七五)によって改変されるなど大きな変革が加えられた。しかし、女性祭司の航海守護の機能は継続する。これが琉球王朝が祭司制度を必要とし続けた要因の一つで、本土では早くに歴史の表舞台から姿を消した女性の祭祀が、沖縄に存続した理由の一つとする。

 「おもろみひやし考−オモロの芸能的研究−」は、沖縄の古歌謡のオモロが実際にどのように歌われたのかを、古文献と現在の祭祀や民俗から考察している。オモロは祭式歌謡として古琉球時代の一五〜一六世紀に歌われて以後、生成の場を失って急速に衰えたと見られる。大正元年(一九一二)にオモロの歌唱を職能として王府に仕えた「おもろ主取」を勤めた最後の人であった阿仁屋真苅翁から、山内盛彬が五種六曲の旋律のオモロを採譜した貴重な記録に基づいて、声を長く伸ばして謡う唱法や、鼓を伴奏楽器に用いて、しばしば舞を伴ったこと、「みひやし」の儀式でオモロの拍子をとるのに「鼓」(チジン)を用い、士族では能の小鼓を用いた可能性があることなどを詳しく考察する。また、オモロの注釈書『混効験集』に基づいて芸能を復元し、現代のウンジャミ、シヌグ、ウマチー、ウヤガンなどの祭祀の歌舞などと対照し、オモロを巡る芸能の諸相を検討する。  

 「天女と巫女と豊饒と−カーの信仰を核として−」は、カーと呼ばれる水の供給源である井戸や川や湧泉にまつわる天女伝承に着目し、その中に現実に活動する巫女の動態を読み解く論考である。カーについては天女が天下って水を浴びたとか、水浴中に飛衣を隠されて土地の男と結婚して産み育てるという天人女房譚が伝わるだけでなく、「カーに天下る天女の幻想」は現実の出来事と考える心意が残されていたという。本稿は先行研究に導かれながら、村々の巫女が司る農耕儀礼の実態に沿って、天女と巫女と豊穣との関係を追及している。『大島筆記』『琉球国由来記』などの文献や地域伝承に見える天女を、旧暦五月の穂祭りの頃の出来事という伝承を手がかりとして農耕儀礼の中に位置付ける。特に国頭の東村のノロの伝承と農耕儀礼の空間配置から、上流にある神聖なカーでの水浴びの後に出現する状況を、穀霊を身に受けて稲穂が充実して誕生する(スデル)様相を、巫女自らが模する儀礼と捉えていることが興味深い。天女が地上に残した子は穂祭りを司る巫女になるという伝承はこれと重なる。再生・復活への「すで水」の信仰が根底にあり、巫女を豊饒儀礼に奉仕する南島の「水の女」として捉え直すことで、折口学と南島研究の接点を作り出している。「水の会」での採訪調査以来続けてきた沖縄研究の最初の成果である。

 「いなくなった女の話−文化としてのシャーマニズム−」は、沖縄では女がある日突然に出奔して行方不明になるといった失踪をテーマとする物語が繰り返し語られ、女は神になったとか、他界に行って帰ってきたなど特別の意味が付与される。こうした一群の物語群を「いなくなった女の話」と名づけ、失踪の物語を南島社会の基層にある成巫過程の反映と見て、説話伝承と成巫過程との密接な関わりを民俗知識として把握する。カミンチュの間では、特定の家筋の者が神の仕事をやらないと病気になって放浪するという語りがあり、宮古のユタの伝承、沖縄本島の普天間権現の物語、加計呂麻島のユタやノロの「神ダーリ」や「屋籠り」の体験談、国頭のユタの伝承、『琉球神道記』の記録などでは失踪の物語が語られている。「物語が現実を反映し、現実が物語をなぞる、物語が現実の巫女の特性を反映し、そこに表現された宗教的資質の豊かな女性のあり方が、物語を聞く女性の心に働きかけて人生に影響を及ぼす」のだという。女性の失踪は他界との往来により神性の獲得を導くのであり、これは巫女の本質に関わる要件で、霊力の根源とする論理が保持されている。舞台となる洞窟、御嶽、海岸などは他界と繋ぐ回路で、失踪譚は神霊の召命を受けて成巫した巫女の聖性を保証する語りと考える。また、宮古のウヤガン祭祀では失踪が儀礼の中に組み込まれ、本質的に異なる世界の他界へ赴くための不可欠な条件とされ、「日常世界からの劇的な離脱を象徴的に表現する様式」となっている。社会的離脱の後に、内面的離脱がある。それが憑霊を伴う失踪であり、混沌たる彷徨こそが成巫を導き、巫女としてかつ神として出現することになるという。「巫女の特性と本質に関わる根源的な物語と、現実の巫女の体験とが分かち難く絡み合う、物語と現実の共犯関係」を捉えるという論旨である。

 「神に追われる女たち−沖縄の女性司祭者の就任過程の検討−」は、女性祭司の継承システム、つまり新たに「生まれて」きたと語られる経緯を論じる。沖縄本島北部の地域の女性祭司たち、カミンチュのライフヒストリーの聞き取りと、同地域のカミンチュの就任儀礼の実見を通して、女性祭司の誕生する過程を考察している。カミンチュはおおむね父系血縁を辿って継承され世襲であることが多い。就任に至るまでは逡巡や葛藤があり、それを乗り越える強い動機付けには、神の意志が必要であるが、こうした就任以前の人生体験についての考察は意外に少ないという。重要なのは、宗教的・社会的基盤であると考えて、カミンチュを取り巻く人々や共同体成員とユタとの関係や、神霊との関係の結び方を、就任儀礼を含めて、主に国頭での聞書きの諸事例に基づいて検討する。ユタはしばしば就任過程に関与するが、カミンチュたちと思想・観念・体験に共通する部分が多いことが強調され、相互補完の関係があったが、近年は葛藤を引き起こしている状況も指摘される。

 「宮古諸島の冬祭−上野村宮国のンナフカ祭祀を中心として−」は、二〇〇一年に採訪したンナフカ祭祀の現状を報告し、村落祭祀と社会組織の関係を検討する。宮古諸島の村々では聖なる森である御嶽とは別に、ムトゥと呼ばれる祭祀施設があり、年中行事では他の地域では夏季(旧暦六〜八月)に大きな祭祀を行なうのに対し、宮古では冬季(旧暦一〇〜一二月)に年間最大の祭祀、主に来訪神祭祀が続くことが特徴である。ムトゥには祖先の神が祀られ、その神霊をマウ神(個人の守護神)として信仰する女性たちがムトゥのサス(祭司)になる。ンナフカ祭祀では、神を乞い招いてもてなすことを主題とし、祭祀の起源伝承が実際の祭具や装置を通じて象徴的に伝達され、儀礼を通じて再演される。最後にファイバナという魂乞いの儀礼がある。来訪神の訪れは弱い人の魂を引き寄せて霊魂の危機的状況を引き起こすという考えがあり、魂と人間の関係を結び直して回復する必要がある。宮古の農耕暦では粟・麦など多種多様な穀物を少しずつずらして栽培して、天災の危機を避ける形態をとるので冬祭が主体であるが、沖縄本島では本土からの影響で麦と水稲の組み合わせに転換し、首里の王府の政策で再編されたので夏祭が主体であると推定する。宮古は慢性的な水不足で、そのために古い生産形式が保たれ、祭祀暦も改変されず、収穫後に季節風が吹き寄せる冬季に来訪神祭祀が行われてきたのだという。

●折口信夫論  
 前半部の最後には二つの折口論がある。
 最初の「まれびと論の形成と展開」では、折口信夫が『古代研究 民俗学篇二』「追ひ書き」で、「島の伝承に実感を催されて古代日本の姿を出した」と述べる大正期の二度の沖縄採訪旅行によって、「資料と実感と推論とが交錯して生まれて来る」という研究方法を確立し、異郷意識からマレビト論へと展開してきた状況を、個々の論文の執筆時期の違いを元にして考証する。その過程を通じて来訪神の発する呪言から叙事詩へという文学の発生論が形作られたという。この主張は、その後、花祭の鬼や雪祭のモドキを経て、神と精霊の対立による芸能の発生、そして霊魂と身体を相互に関連づける鎮魂論により、神以前のカミやモノへの探求へと進むことになるが、マレビト論は転換の結節点にあったといえる。一方、折口と対比される柳田國男は、マレビト論を最後まで認めず、「親しく懐かしい」祖霊を原型の神とする論旨を貫いたとして、日本人の神観念の塑型に関する両者の考え方の違いを浮彫りにした。結論としては、折口信夫は、整序された神観念以前の「神」の究明の進展を想定したのであり、日本列島への移住以前の「前日本」「前『古代』」の神あるいは霊魂を想定していることが、柳田の祖先神や祖霊の探求と異なる結論を導き出したとする。
 「『死者の書』の主題」では、折口信夫の学問と創作は表裏一体であるという池田弥三郎の主張を受け、最も成功したとされる作品『死者の書』を取り上げて、折口の持論である「史論の表現形式としての小説」の意義を確認しようと試みる。「死者の書」の前身といわれる「神の嫁」(大正一一年・一九二二)や、雑誌『日本評論』に発表された『死者の書』初出本(昭和一四年・一九三九)との比較を通して、変更・矛盾を指摘し、『死者の書』では、「歴史を固有の観点から享受する層を重層的に描いた」ことや、独自の感情表現の提示を評価する。大多数の人々は旧来の類型を通して歴史の新しい形を受け入れ、伝えていくという「生活としての歴史」が描かれる。古代と現代、その間を繋ぐ基層という三層の時間を重ね合わせた多重的表現であるという。その主題は史実の背後にあり、そこに仏教の浸透と連動して精神の揺らぎが生じる中で、連続と非連続で生じる「日本の神々の死」を描こうとした。『死者の書』に立ち戻り、万葉びとの生活の基層にはその枠組を支える信仰の問題やその担い手の巫女があり、その変容の姿を描くことにあったとする。

●沖縄の女性祭司の世界  
 後半部にあたるUに収録された「沖縄の女性祭司の世界」では、序の「沖縄の女性祭司の現在」で、著者の研究の目的と原動力を鮮明に語っている。「祭司には日常的にさまざまな規制がかかり、個人生活にはらう犠牲は大きい。祭司達はそれを宿命として引き受け、共同体のために重い責任を負い、今日では報われることの少ない職責を果たしている。そうした状況を目の当たりにしてもった驚きと疑問が、私の調査研究の出発点である。だから私の研究は祭司の人間的側面に注目して、そこにある諸問題をことばに置き換えて考察することに中心がある。材料を集めるにも、記述するにも時間がかかるが、今もって疑問は尽きないのである」と、誠実に述べる。一九九三年から始めた宮古島の調査では、年間三〇回にも及ぶ狩俣の村落祭祀と出会い、村人が祭司の儀礼によって「豊饒」(ユー)が齎されることを体験的に評価して生き、成果が切実に問われていることに衝撃を受ける。最初は沖縄の宗教文化を女性が主導することに素朴な憧れを持って調査を始めたのだが、現実は厳しく、「近代化する社会の中で祭司達は明らかに孤立していた」という認識に到達する。「非力ながらこれまで見てきたものを精確に記述せねばならないと思う」という一句で序が閉じられる。序には論文を書くのとは別の著者の本音の想いが凝結しているのである。

 第一部「民俗社会のなかの祭司」の第一章「近代の公儀ノロ」では現在では少なくなった伝統的な祭司のライフヒストリーを紹介し、祭司が抱える問題や共同体から付託されたものを検討し、伝統的な祭司像を精確に記述する。  
 第二章「民俗知識の継承−神歌を中心に−」では、多くの祭司に共通する「先代から受け継いだ通りに祭祀を行う」という信念に焦点を当てて、神歌を中心とする知識の伝承のあり方を考察する。祭祀を継承する原動力の根底には、神への怖れがあり、「始原の祭祀」のままに行うことが理想とされるが、理念と実態にはズレが生じ、知識の伝承は微妙に変形される。宮古島の狩俣での神歌は口頭伝承と補助的なノートの文字伝承で伝達されているが「歌の流れの中で語句の役割やおおよその意味を理解していることがわかる。一つの語に一つの意味を対応させて分析解釈する近代的な理解とは異質のあり方なのである」という重要な指摘を行う。記憶の手段としてのみ文字を使用し、意味内容を理解する段階ではノートは関わらず、儀礼の執行を重ねることで意味内容が徐々に習得されるという、「文字の限定的使用」こそが、長大な神歌を伝える巧妙な仕組みであったという結論を導き出す。  
 総じて、第一章と第二章は、祭司はどのようなモノと知識を受け継ぐのか、祭司の知識の世代間伝達の仕組みを検討して、「継承される職」として祭司を捉え直す。沖縄本島では祭司は終身制で前任者の死後に後継者が決まるので、伝承が間接的にしか伝わらないのに対して、宮古島では職を退いた者が後継者を直接に教育する機会があり伝承の継続性が保証されているという指摘は重要であろう。  
 第三章「沖縄国頭地方の『海神祭祀』の検討−ウンジャミ・シヌグ祭祀の分類と類型−」では、国頭の村落祭祀について祭司の儀礼行動を中心として史料と調査の双方から検討して、類型化と考察を試みる。村落祭祀には来訪神祭祀と祓除儀礼を一連のものとして捉える思考があり、豊饒の源泉であると共に災厄の根源でもある複合的な他界観念が想定され、創世伝承には世界の総体を丸ごと捉えようとする志向性があるという。ウンジャミとシヌグについては何人かの研究者が沢山の論考を書いているが、本論考は緻密な比較と考証によって、堅実な結論を出している。

 第二部「古琉球の祭司資料を読む」では、歴史学の成果を踏まえて、祭司の出発点である古琉球の女性祭司像を改めて検討する。祭司の変遷は三期に分かれ、@出発点としての古琉球の祭司、A近世の祭司制度の再編、B近世の慣行を継承しつつ近代化に対応した近代の祭司があるという。第一部はBが主体であったのに対して、第二部は@を中心に史料の基礎的な読解を試みる。一六世紀の歴代の王が建立した「碑文」を同時代の『おもろさうし』(一五三一年〜一六二三年)と照合し、解釈には「おもろ原注」(一七一〇年)と『混効験集』(一七一一年)を用いて、女性祭司と儀礼の実態を具体的に読み解く。五種の碑文について、背景と様式を検討し、解説と語釈を加え、碑文の神託であるミセセルと叙事性を持つオモロとの共通性と差異性に注目しつつ、古琉球の憑霊信仰を解き明かす。ミセセル(神託)は「一定の知識を共有して儀礼に臨席する限定的な人々を対象にする『儀礼のことば』」(四二八頁)で、その場限りであるのに対して、オモロはミセセルを基に事情を説明する言葉を増補して時間配列と主体を明示し、事業を完遂して神の祝福を知らしめるという指摘は卓見である。「防御施設を作り動員体制を定めて軍事的に防備を固める現実の政策と、聞得大君の霊的な守護を期待する宗教的心情は、古琉球の時代、相互補完的な関係をもって支えあい、どちらが欠けても社会は運営できなかった」(四二九頁)という結論は説得力をもつ。ただし、碑文に見える王権への仏教の関与は今後の課題であろう。

 ●本書の評価  
  本書の主題は、古琉球の祭司像が近世の祭司制度の再編を経て、近代の祭司に繋がるという連続性の検討であった。その方法は、ノロやユタの成巫の語りや儀礼、共同体の世界観を援用して、伝承に内在する宗教的コードを読み解くという正統的なものである。シャーマニズム研究の領野への接近はあるものの、やや批判的に捉えている。その理由は、現象面に頼り、「女性を、憑霊を頂点とする宗教現象へと駆り立てるものを専ら個人的側面−個人の資質、病苦、家庭環境など−からしか捉えることができなかった。しかしそれはより多面的なアプローチが可能なはずである。たえずノロやユタを生み出してきた南島社会の基層には、ある一定の資質をもつ女性を捉え、宗教的事象へと駆り立てる仕組が、幾重にも張り巡らされているように思われる」(一五三〜一五四頁)と主張する。神霊と巫女との交流をトランスを伴う典型的な神がかりに限定して現象面で捉える傾向を批判し、小松和彦の見解を引きつつ、トランスの有無に限らず、神霊の肉体への侵入という文化の次元での観念の想定の上に成り立つ世界だと考える(二一四頁)。カミンチュが神霊と結ぶ関係は複雑であり、宗教的基盤の上で総体を捉え直す提案をする。村落祭祀を司るノロと私的領域に生ずる霊的問題を扱うユタは、基本的機能を異にし、世襲と非世襲の違いがあるとする二分法や、古層の根神からノロへ、そしてユタへという憶測による歴史的変遷の主張には否定的である。「サーダカ生り」と認定される特性に見られるような、根源の憑霊信仰こそが重要なのである。

 本書は折口信夫の古代学、特にマレビト論に導かれながら、沖縄本島の国頭と宮古諸島の事例に焦点を合わせて、祭祀の担い手である女性祭司の動態を史料と民俗を交錯させて検討して、歴史を貫く古層にある民衆の思考の動態を明らかにした。折口学の立場から言えば、神以前のカミを求める折口の探求を担い手の側から考察したとも言える。カミンチュ(神女)たちが、神と人の二重化の中で生き、拝むものと拝まれるものが一体化し、人が神になるのではなく神が人になるのだと観念されていることへの気付きが本書の原動力である。本書は、国頭のウンジャミやシヌグ、宮古島狩俣のウヤガン祭祀への参与観察を、文献を読み解く場合の実感として大いに役立てている。八重山群島や奄美の事例を合わせて検討すれば、広域での比較を可能にして、本書の価値が高まったと思われるが、寿命がその探求を許さなかった。論文の底流には、後継者が少なくなって継続が危ぶまれるノロやツカサたちの祭司活動がいつまで続くのかわからないという危機感が流れている。著者は国文学の研究から出発して、文化人類学や民俗学の影響を受け、史料と文学と実態を結び付ける手法を洗練させて独自の立場に至ったのであり、実感を文献に読み込む折口学を地域研究に結びつけることによって、見事に現代に甦らせたと言える。 

 人類学者から見れば、本書の論題は本質主義であり、古層がアプリオリに設定され、地域社会の文脈が活かされていないなどの問題点もある。しかし、本書の主張は、現地の人々の思考や体験を精確に記述し体現した上で提示されており説得性に富む。調査は一九八〇年から始まり二〇〇〇年代初期に至る激動の時代に行なわれ、記録としての価値も高い。文中では話者の名称は個人のプライヴァシーへの配慮から仮名が使われているが、伝承は消滅の危機にあり、祭司の継承もうまくいっていない現状を鑑みると、近い将来に実名が公開されて歴史記録としての役割を果たすことを期待したい。

 個人的なことになるが、評者は一九七〇年代半ばに南島の各地を歩き、一九七八年に行なわれた久高島のイザイホーの祭祀を最後に沖縄研究から離れた。国頭の祭祀、特にウンジャミやシヌグもよく見て歩いていたが、本書の鋭い洞察力によって、当時わからないままであったことの幾つかが氷解した。著者とは何度か日本各地や韓国などで一緒に調査する機会があったが、がむしゃらに調査するというよりは、特定の人々と信頼関係を作り、繰り返し訪れることで、人々の心の中の深層へと向うタイプであったと思う。何通かお手紙も頂いたが、「今、また沖縄にきています」という内容のものが多かった。女性として共感を持てる話者にめぐり会ったことが「持続する志」の原動力であったのだろう。流動化する情報化社会の中で、長い年月をかけ、堅実に構築される学問が危機にさらされている現状に対して、本書は大いなる警告を鳴らしている。今後も本書が多くの人の目に触れて、将来の学問の礎となることを期待する。生前に本として刊行されなかったことが悔やまれるが、同時代に生きた同じ志を持つ者として書評という形で深く哀悼の意を表したい。

 最後になったが、本書を編むことによって、故人の業績が後世に伝わるようにして頂いた、西村亨、長谷川政春、伊藤好英、佐谷眞木人の各氏にも感謝申し上げる。


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