悪党研究会編 『悪党の中世』
者:新井孝重
掲載紙:日本歴史612(1999.5 )


 本書は悪党研究会が中世の悪党について集団で研究し、そこから得た成果を一書にまとめた作品である。悪党が中世社会に占める位置の大きさと、これを介しての研究の重要性については、だれもが暗々裏のうちに気付いていながら、しかしこれを集団かつ組織的に究明せんとする試みはこれまでみられなかった。したがって悪党研究会が結成されたこと自体画期的であり、さらにその活動の成果が書物のかたちをとって世に出されたことはまことに大きな意味をもつといえる。さて本書の構成はつぎのようである(各論文名の副題は略す)。(目次省略)

 巻頭の渡辺論文は悪党研究の今日的な問題の所在を明らかにすべく配置されたものである。

 そこでは悪党の多様性に振り回されぬ方法の必要が説かれている。

 第一章。海津論文は山城国の大隅・薪荘境相論を素材に、自力救済の地域秩序が幕府の手によって否定されていく過程と、そのことによって自力の世界に生きるものが悪党たらざるを得なかったことを説く。ここでは自力の秩序を基礎に「当知行」が存在し、これに制限を加える上からの力が「徳政」であったことが力説されている。徳政の結果としての悪党を、弘安四年(一二八一)の「異国征伐」と関連させる。高木論文は播磨国矢野荘の下地中分関連帳簿類から同荘の景現復元をおこない、支配拠点としての政所の場所とその移動について明らかにした。

 何度もの現地調査と地道な文書の読み込みを踏まえた高木氏の立論は説得的であり、荘園農村の歴史叙述における新生面を切り拓きつつある。悪党乱入の時代にあって、名主の屋敷が在地防衛「荘家警固」の拠点としても転用され、それゆえにその拠点たる政所が領家と守護の争奪の対象となっていたことは興味ぶかい。松原論文は松尾神社の西七条の旅所祭祀を中心に、神社・神人・住民のおりなす祭祀と生活を追う。三藤論文は京郊に現れた悪党道願を、散在入組型荘園の拝師荘の構造と、それとは別個に地縁結合を媒介する日吉田との関係から説明する。

 青木論文は上野国新田荘の有徳人道海の実像を、かれの活動と長楽寺、世良田氏、さらに鎌倉末期の得宗家の動きと関連づけながら明らかにする。世良田氏は道海を介して、所領を長楽寺に寄進することによって、得宗家からの圧迫を切り抜けようとしていたという。


 第二章。蔵持論文は近江国菅浦と大浦を素材に惣の本質に接近する。両村が互いにもつ相手村落への「異界」観念、「異界」と関わって現れる悪党、日差・諸河をめぐる大浦との対立を契機にした菅浦の公的表現(=村人)の出現などを分析することによって、村内における公と私の一体化に注目。惣が姿を現す瞬間をとらえる。錦論文は兵庫関の経営実態を解明しつつ、同関がしめる東大寺内における経済的位置を明らかにする。丁寧な史料分析によって得られた関の制度は異味深い。桜井論文は法制史料ほか各種古文書を通じて路次狼藉という言葉の意味に検討を加え、それが検断沙汰の対象となった(「路次狼藉」が成立した)時代の背景を「生きた場」としての交通路とそこに関わる悪党の存在から論じる。個別領主の手から離れた社会の脈管に目をむけ、そこでの狼籍がもつ歴史的な意味を幕府との関係で観ようとする視点は重要である。渡辺論文は鎌倉末期の東大寺大勧進円瑜の周防・兵庫関・寺内における活動を観察、あわせて彼の存在の背後に幕府につながろうとする勢力とこれに反対する勢力の対立を看取する。


 則竹論文は江戸湾をはさんで相対峙する後北条氏と房総里見氏がどう海の境界地域を掌握支配したか問題設定し、それを大名に組織された海賊の活動と敵方に年貢を払って私的に平和を確保しようとする沿岸住民の対応から論ずる。第三章。楠木論文は「悪党蜂起」の意味と実態を考察することによって、鎌倉時代の在地の変動の上に悪党認定のシステムを解明することの必要を説く。梶山論文は内乱期の戦場に現れる野伏の実態を諸種の史料の検討を通して明らかにする。野伏は戦闘の集団としてよりも略奪物を売買することを目的に現れたのではないかという仮説は、特殊な十四世紀的社会の中でさらに深めたい論点である。野村論文は若狭小浜の寺院にある如法経寄進札にあらわれる女人救済=差別文言を素材に、十五世紀末十六世紀初頭における女性差別思想の登場に注目。仏教を媒介にして民間に入り込む差別のありようを、仏教自体の質的な変化に目配りしながら視察する手法はおもしろい。ただしこの論文が、悪党論の中でいかなる位置をしめるか不明瞭。小林論文は日向国国富荘周辺の局地紛争を素材に、私戦が公戦に転化するメカニズムを剔出。その内部に当知行をめぐる実力闘争(悪党)を 位置付け、中央政治につながりながら、しかも中央にのみ収斂されない内戦の構造を説き明かす。史料の読み込みと論理構成の確かさは、論旨を明快なものにしている。佐藤論文は『峰相記』『太平記』にみえる悪党と合戦のさまを手繰り出す。内乱期特有の人間のありようが、彼らの姿と行動の描写を通して生きいきと論ぜられている。最後に中島・山本両氏によって「二条河原落書」の紹介と解説が、また石原・海津・楠木の三氏によって鎌倉南北朝期の悪党交名一覧の提示と、その解説が行われている。


 さて以上の諸論稿を全体としてながめると、つぎのことが言えようか。悪党研究の視点と方法が、これまでの領主農民関係を軸とする矛盾に焦点が絞られるのではなく、また領主農民関係の農業社会とそこから区別された非農業社会との対抗に焦点が据えられるでもなく、第三のあらたな形となって姿を見せはじめているということである。すなわち徳政・当知行・路次狼藉など、まずは秩序に関わる枠をおさえ、それとの対抗的関係において悪党をつかまえようとするのである。こうした方法からは当然、秩序と密接する(したがって最も深刻に矛盾もする)武力の問題が見えてくるだろう。多くの論稿のなかで悪党が戦争のなかで論せられ、中世の平和の意味がそこから捉えられようとしているのは、こうした新たな悪党論の展開を予測させる。


 悪党研究の到達点を知るためには必読の一書である。
(独協大学経済学部教授)


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