伊達天正日記 天正十五年
岩田書院史料選書7

南奥羽戦国史研究会(みなみおううせんごくしけんきゅうかい)
【編集担当】遠藤ゆり子・佐藤貴浩・高橋俊介・戸谷穂高


2018年11月刊
A5判・130頁・並製本
ISBN978-4-86602-059-4 C3321
1600円 (税別)
「「伊達天正日記」は、天正15-18年(1587-90)における伊達政宗の動向を、側近が記したものである。この時期は、政宗が家督を継承してから2年後の21〜24歳(数え年)に相当し、政治動向が大きく変化していく南奧羽の戦国末期を知る上で重要な史料だといえる。比較的、政情の落ち着いていた天正十五年には、本拠米沢近辺での鷹狩や川狩りなどを楽しむ政宗の日常生活や、諸事件への対応といった伊達氏の内政を垣間見ることができる。だが次第に近隣諸氏との戦争が激しくなると、外交上の遣り取りや戦争準備に忙しかった様子を伝える記事が増えるようになる。天正十七年には会津の蘆名氏を滅ぼし、会津黒川城へと入城した頃の状況が知られ、豊臣政権から上洛を求められていた同十八年三月で日記は終わっている。
同日記については、既に小林清治氏が翻刻・校注を行っている(『伊達史料集』人物往来社、1965年)。その際、小林氏は底本の史料名「天正日記」を「伊達天正日記」と改めて史料を紹介した。他にも「天正日記」の名を冠する史料があり、それらと区別する必要があったためである。その後は、同日記は「伊達天正日記」の名で広く定着することとなった。
このように、「伊達天正日記」は既に翻刻もされているのだが、問題が2点ほど残されていた。一つは、理由は定かではないが、小林氏が天正15年分を翻刻・校注の対象から除外したということであり、もう一つは、小林氏が底本とした謄写本は、最も良質な史料とは言い難いということであった。」(本書「解題(遠藤ゆり子執筆」より)
本書は、東京大学史料編纂所所蔵の写真帳(原本は所在不明)による。ここには三濁点の表記がみられ、戦国期に作成された史料である可能性が高く、現状においては最良の底本といえる。
翻刻にあたっては、できるだけ底本通りの字体を採用し、三濁点もそのまま表記した。また、人名・寺社名・地名などに校注を加え、それをもとにした詳細な索引を付し、現在地などの比定も施した。
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