江戸時代
海面入会争論再審実録


見城 幸雄編(愛知大学名誉教授)
2000年9月刊
A5判・228頁・上製本・函入
ISBN4-87294-178-0
3700円


渥美半島中央部から東南部にかけての丘陵地帯に本支流の源を発し、半島のつけ根のあたりで三河湾に注ぎ込む梅田川という2級河川がある。江戸時代、その河口部に大崎村があり、その上流部には野依方5か村が連なっていた。
このあたりでは、海岸村の地先海面へ内陸部の村々が適宜入会って、田畑の肥料となる藻草や貝類を採取する慣行が成立していたらしい。
その慣行をめぐって、幕末期、大崎村地先海面への入会「権」を主張する野依方5か村と、自村海面への5か村の「不法」立入りの差止めを求める大崎村との間で、前後3回にわたる訴訟事件が発生した。
天保14年の初審は大崎側の全面勝訴に終わったが、天保15年(弘化元年)から弘化3年までの2年余にわたる再審では、5か村側のほぼ全面的な勝訴となった。
本書はこの再審の経緯を記録した史料で、5か村側惣代の中心となった庄屋の跡を承ける豊橋市の石田家に伝わっている。
なお4年後の嘉永3年、大崎側からの出訴によって紛争はむしかえされたが、この再々審でも再審の「午年済口」が再確認された。そして以後の訴訟は明治に持ち越される。

【収録論文】

はしがき―再審以前

藻草入会之儀ニ付掛合書写

御白洲双方始末書控/海面入会藻草出入再願書控

藻草口明廻状と海方運上

調役の更迭

貝類の採取

(船数の限定

午年済口

あとがき―再審以後


ご注文へ